奥書と刊記の問題

和書において、写本の奥書と版本の刊記は、その本の素性・製作年代・製作環境などを知る上で重要なものです。しかし、奥書はその性質について判別が必要であり、また刊記は必ずしもあるとは限りません。ここでは、それらの問題について解説します。

本奥書と書写奥書

奥書のうち、書写に用いた本(底本・親本)にあったものを本奥書、その本の書写に当たって書かれたものを書写奥書と言います。

本奥書と書写奥書

春日權現驗記繪

春日權現驗記繪

本奥書ほんおくがき

既存の写本を転写して新しい写本が作られる際、底本(親本)の奥書を転記することが多い。和書では底本のことを「本」と言うので、底本にあった奥書の意味で本奥書と言う。本奥書は「本云」という注記を冠することが多くあり、また署名の下に「判(在判)」とあれば本奥書と認定できる。

本奥書と書写奥書

行類抄

行類抄

書写奥書しょしゃおくがき

本奥書に対し、当該の写本が書写された際に書かれた奥書を、書写奥書と言う。本奥書は必ずしも「本云」と注記されないので、注記のない奥書は、本奥書か書写奥書かの判別が必要である。

「他筆を以て之を書写せしむ」とあり、それ以前の部分と筆跡が異なることから、この寛永二十一年(1644)の奥書は、本書の書写奥書と認められる。奥書を記した「左大臣」は、九条道房(1609~47)。

奥書の真偽

奥書は写本の素性や書写の事情等に関して重要な情報を提供するものですが、時として権威づけなどのために、偽の奥書が創作されることがあります。

奥書の真偽

古今和歌集

古今和歌集

偽奥書にせおくがき

権威づけや年代の偽装などの目的から、架空の奥書が書かれることも少なくない。創作された奥書は、人物と年代の矛盾などから、捏造であることが判明する場合もある。

「正和元十月日/延山御師仍需書/日朗(印)」とあるが、日朗(1245~1320)は日蓮の高弟の一人であり、「延山御師」は身延山の日蓮のことと解される。しかし日蓮は弘安五年(1282)に歿しており、正和元年(1312)にその所望によって日朗が『古今集』を書写することはありえない。ほかにも、「仍需」という書き方が鎌倉時代の奥書には例を見ないこと、「日朗」の署名の下の印記が写しであるにもかかわらず本文と奥書の墨色・筆致が異なることなど、この奥書には疑問の点が多く、恐らくは江戸時代に書き入れられた捏造奥書と思われる。

奥書の真偽

撰集抄

撰集抄

真偽不明の奥書しんぎふめいのおくがき

捏造の疑いがあっても、容易に判定できない奥書もある。特に具体的な人物名のない奥書は判断が難しい。

書写奥書・刊記のない本

写本には書写奥書のないものも少なくなく、版本も江戸初期頃までは刊記のないことが珍しくありません。書写奥書や刊記のない本をどう位置付けるか、資料として扱う場合の課題になります。

書写奥書・刊記のない本

後拾遺和歌抄

後拾遺和歌抄

書写奥書のない本しょしゃおくがきのないほん

写本が作られる際は必ず書写奥書が書かれるわけではなく、書写奥書のない写本も少なくない。その場合は、年代を墨色・書風・料紙・装訂・表紙などから総合的に判断しなければならない。

「元弘二年〈壬申〉三月廿三日令書之/同廿八日令読合之書入落字等訖/虎賁中郎将藤原為忠」の奥書があるが、紙質・書風などから、江戸初期の写本と考えられる。元弘2年(1332)の奥書は本奥書で、この写本の書写奥書は記されていない。

書写奥書・刊記のない本

感山雲卧紀談

感山雲卧紀談

無刊記本むかんきぼん

江戸中期以降の版本は、私家版などを除き通常刊記を持つが、特に江戸初期頃までは、刊記のない版本も珍しくない。その場合は、開版年代・出版の事情や環境などを、字様・料紙その他から推定する必要がある。

「貞和〈丙戌〉三月吉日沙門明超/捨財命工鏤梓流通/……」の刊記があるが、訓点を付刻することなどから見て貞和2年(1346)の刊本とは考えられず、江戸初期に五山版に訓点を付して覆刻した本と見なされる。貞和の刊記は基にした版本のもので、この本の刊記はない。