『小紋雅話』
(こもんがわ)
寛政2年(1790年)刊、蔦屋重三郎版、小紋模様の見立絵本。天明4年(1784年)刊『小紋裁』(白鳳堂版)に24図を巻頭に加えた増補版で、『小紋裁』は山東京伝画作見立絵本の嚆矢とも言える作品。これが好評で、天明6年(1786年)には同じ趣向の『小紋新法』を後編として刊行し、本書のような増補版も出された。
浮世絵師・北尾政演としても活躍していた京伝ならではの画文一体の遊びの模様。右端の「本田つる」、日本航空の社章のようなものは本多髷という中剃りを大きくして髷を高く結って横に曲げた、通人(粋な人)の髪型を真上から見たもの。だから鶴の丸紋ならぬ「通の丸」である。
次の「角だるま」は「お客の誠と達磨の四角があれば、晦日に質が出る」との説明付きである。「女郎の誠と玉子の四角」は無いものの喩えだが、実はお客にも誠はなく、それは達磨に四角がないのと同じである。質入れをして現金を用意する大晦日に、質受けするのと同じくらいあり得ないとする。遊女評判記の位取りを表す印の後ろに四角い達磨の顔が描かれる。
「しらみ小紋」は「千手観世音御戸帳のきれなり。今は鍋屋源兵衛が家に伝わる」とあり、千手観世音とは手が多いことからしらみの異名。鍋屋源兵衛とは、しらみ紐(おなかに締めるしらみ除け薬入りの布紐)を売っていた店。
「まいまいともえ」模様には、「一名(別名)まいないつぶれと云て、ひところ殊の外はやりし模様なれども、今は廃れたり」とあり、蝸牛3匹が巴紋に描かれる。蝸牛は1名まいまいつぶれ。賄と呼ばれた賄賂が横行した田沼政治は、天明6年に田沼意次の罷免により今は廃れたとする。
「哥字づくし」模様には「小野篁の装束のきれなり」とある。『小野篁歌字尽』は漢字学習のための童蒙書で、「已己~」は「已にかみ、己はしもにつきにけり」と歌で漢字を覚える工夫がされている。
「つらのかは梅」模様には「一名光琳のお多福 〽地甘酒色に染めてよし」とある。光琳デザインの梅に目鼻をつければお多福の顔との意味か。
(副館長 山下則子)
読売新聞多摩版2020年7月8日掲載記事より