古歌の心 江戸期に再び(多摩の横山 下)
(たまのよこやま)
京王相模原線若葉台駅にほど近い丘の上広場から、唐木田配水所付近までの10キロメートル余り、多摩丘陵の尾根伝いに、「多摩よこやまの道」が整備されている。『万葉集』巻二十の防人の妻の歌の「多摩の横山」がゆかりとなった散策路である。平安時代には、『堀河百首』の藤原顕仲の一首がこの地名を詠んだ歌として知られる程度だった。
近世、それも後期には、江戸の人々に身近なこの歌枕に照明が当たってくる。例えば、賀茂真淵の高弟、楫取魚彦には、
八王子とふ所の女のもとより、手づから折れりとてわらびをおこせたりければ、いひつかはしける
たをやめの赤裳すそ引きたまたまに玉のよこ山に折りけん早蕨(楫取魚彦集・一一〇)
がある。
八王子なる所の女性から、自分で採ったといって蕨が贈られてきた。これを精いっぱい『万葉集』的な表現で飾り立てた。「淑女が赤い裳の裾を翻して、奇特なことにも多摩の横山で手折ったという早蕨ではないか」。素敵なレディーが真っ赤なドレスを翻して摘んだ、プレミアム付きの蕨だ!というわけだ。
「玉のよこ山」は家集版本の表記。「たまたま」(稀な)と同音に引っ掛けつつ、素晴らしいという誉め言葉の「玉」に「多摩」を重ねている。八王子と多摩を同一視しているようで気にもなるが、甲州街道の宿場町八王子十五宿の中心、横山宿にちなんだのかもしれない。
魚彦と同じく賀茂真淵の門弟、加藤(橘)千蔭の歌にも、この歌枕は見える。
山に雪残れり
しろたへに残るみ雪を春の日の光にみがくたまの横やま(うけらが花初編・七〇)
(真っ白に残った雪を、春の日ざしがきらきらと輝かせている、多摩の横山よ)
春になっても雪を残している多摩丘陵の情景を詠んでいる。実景と見てよいだろうが、言葉はじっくりと選ばれている。『新古今集』の、
雪ふれば峰のま榊埋もれて月にみがける天の香具山(新古今集・六七七)
という藤原俊成の歌の表現を取り入れている。聖なる天の香具山の代わりなのだから、多摩の横山も出世を遂げたといってよかろうか。「みがく」は「たま(多摩・玉)」の縁語である。和歌は、古い歌の心を今受け取りながら、脈々と詠まれ継がれてきた。
現在の「よこやまの道」の学校給食センター永山調理所近く、「防人見返りの峠」の碑があり、ここから多摩市を一望できる。妻を思う防人に成り代わり、しばし歴史に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
(館長 渡部泰明)
読売新聞多摩版2024年3月20日掲載記事より