『江戸名勝詩』
(えどめいしょうし)
作家の中村真一郎(1918~97年)は、古今東西の文芸に通じ、翻訳・小説・戯曲・評論など大量の著述を残した一大知識人である。江戸時代の漢詩集を入手して読み、フランスのサント=ブーヴ(1804~69年)による緻密な伝記的評論に倣い、『頼山陽とその時代』や『木村蒹葭堂のサロン』などの評伝を著して、江戸時代の漢詩の作り手やその仲間たちを豊かな人間性と深い洞察力を持つ知識人として描き出した。
当館には「中村真一郎江戸漢詩文コレクション」として中村の旧蔵書825点と創作ノート1点が所蔵されている。旧蔵書のうち、『江戸名勝詩』は、江戸後期~明治に活躍した漢詩人、大沼枕山(1818~91年)の漢詩集。明治11年(1878年)の刊行であるのに、101首の七言絶句は明治維新に少しも触れず、ひたすら前代の江戸を称賛する。
第56首は多摩地域ともゆかりの深い「玉川上水」と題され、「玉川十里引き来って均し。飲むに宜しく茶に宜しく水に神有り。見るべし承応の遺徳の大なるを。能く霑す八百八街の人」と訓読できる。
多摩川の水が江戸市中まで10里(約40キロメートル)引かれて満遍なく行き渡り、そのまま飲んでも、お茶を淹れても、とびきり美味しく、承応二年(1653年)にこの水道を設けた幕府の恩恵により、後の代まで大都市江戸が潤った、との内容だ。
「均」の字は、優れた為政者によって富や資源の分配が公平に行われ、安定した社会が実現されることを言い表す際に、漢籍で用いられる。玉川上水は、明治31年(1898年)に近代水道が開通する頃まで東京を潤し続け、その後も、一部が近代水道に利用された。
真の進歩とは、古いものを闇雲に棄て去るのではなく、前の時代の仕事を受け継ぎ発展させていくことだ、という声がどこからともなく聞こえてくる。
(准教授 山本嘉孝)
読売新聞多摩版2020年2月19日掲載記事より