雲図抄
(うんずしょう)
天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ乙女の姿しばしとどめむ(古今集・雑上・八七二)
「大空の風よ、雲の通路を吹き閉ざしておくれ。天女にまがう乙女たちの姿を、しばらくの間でもここにとどめておきたいから」。『百人一首』で有名な、僧正遍昭の歌である。ただし『古今集』では、彼の俗名である良岑宗貞作と記されている。仁明天皇の側近として活躍していた、在俗時代の歌だからである。五節の舞姫、すなわち大嘗会や新嘗会で披露される少女たちの舞を詠んだのである。
さてこの歌の「雲の通ひ路」は、雲の中の通路と解されることが多いが、具体的なイメージを結びにくい。それ以上に「吹き閉ぢよ」がよくわからない。空の風が雲を吹くなら、「吹き払へ」とか「吹き散らせ」とか、他になじんだ表現があるはずだ。
そこで『雲図抄』の図を参照してみよう。『雲図抄』は12世紀初頭の儀式書。1年の宮中の行事を図解した書物で、国文学研究資料館にも古写の巻子本が所蔵されている。いうまでもなく「雲」は禁裏の意。
五節の舞の前日、清涼殿で天皇が練習を見る「寅日夜御前試」について、館蔵の『雲図抄』は写真のように図示している。
その注記の中で、「舞姫参上の後、上戸・右青璅門、堅く以てこれを閉づ」とあることに注目しよう。舞姫が参上した後には、清涼殿殿上の間の出入口となる上戸・右青璅門を閉じ、人の出入りを固く禁じることが記されている。五節の舞を秘儀化するこの「閉じる」印象が、遍昭が「吹き閉づ」を用いた要因の一つになっているのではないだろうか。だとすれば「吹き閉ぢよ」には、天女と見まがう舞姫の、天上世界への帰り道を絶つことに重ねて、彼女たちをこの清涼殿の空間に封じ込めることにつながる。一首は、舞姫の美を独占すべき、王権を賛嘆する歌でもあるのであろう。
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(館長 渡部泰明)
読売新聞多摩版2023年1月11日掲載記事より