大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2022/12/26

信州松代大地震御届ケ書写

(しんしゅうまつしろおおじしんおとどけがきうつし)

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 弘化4年(1847)3月24日夜、信濃国善光寺平(現在の長野市)を震源とする直下型の地震が発生した。いわゆる善光寺地震である。地球物理学の研究成果によれば、善光寺地震はマグニチュード7・4と評されており、東は江戸や日光、西は京都・大坂(大阪)、遠くは赤穂(現在の兵庫県赤穂市。兵庫県南西部で岡山県と接する)までも揺れた。善光寺開帳の時期であったために多くの参詣客で賑わっており、この地震による倒壊焼失のために多くの犠牲者を出した。善光寺境内の諸建物も被害が大きかった。また、山崩れで河川に土砂が流入し、川の水がせき止められてしまう河道閉塞(へいそく)が各地で起きた。それによって巨大な湖が出現することとなり、やがては決壊し、多くの村が洪水に巻き込まれてしまった。
 当館蔵信濃国松代真田家文書には松代藩による被害状況や救済を記した古文書・古記録が数多く(のこ)されている。今回紹介する古文書は「御届ケ書帳面入信州松代大地震」と記された袋に入っている「地震届ケ書写」という帳面だ。この帳面は地震発生直後に藩主から江戸幕府の老中へ送られた書状の写しで、3月26日の日付が記されている。内容は地震が発生して、城や武家屋敷、城下町や村々の屋敷が多数潰れたこと、火事が発生していること、山崩れのために水がせき止められていること、川下では水が干上がっていることなどだ。そして、「今以折々相震申候(いまだに時々地震が起きています)」と述べていることから余震が続く不安な状態であったことがうかがえる。また、「地震届ケ書写」が入っていた袋の中には近隣の松本藩・飯山藩などが提出した書状の写しも入っており、藩が積極的に他藩の状況を得ようとした様子が見える。
 松代藩ではこの地震からの救済・復旧に莫大な経費が掛かった。最終的には藩の借金が111万両にまで膨れ上がり、それらが解消されないまま、廃藩置県によって松代藩は消滅した。

(教授 西村慎太郎) 


読売新聞多摩版2022年12月7日掲載記事より

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