『西洋時辰儀定刻活測』
(せいようじしんぎていこくかっそく)
藤原定家の和歌「年も経ぬ祈るちぎりは初瀬山をのへの鐘のよその夕暮れ」では奈良の長谷寺の観世音菩薩に恋の成就を祈る人物が、ひとり日没の鐘を聞く。何年も祈り続けた大きな時間から、一日の終わりを無情にも告げる鐘の音へのズームアップ。 ひとりの私から、初瀬山全体、そして私とは関わりのない恋人たちを俯瞰する遠景へ。「次から次へと継起する、言葉に伴うイメージの連続、それによって次第に悲しい恋の姿が浮かび上がってくるという、一種推理小説的な」(久保田淳)歌である。『六百番歌合』で詠まれた題詠(フィクションの和歌)であり、詳しくは久保田淳『新古今和歌集全注釈 四』(角川学芸出版 2012年)を参照されたい。
ここに詠まれた入相の鐘は日没の時報であるが、現代のような時計を持たない時代、時刻を知らせる太鼓や鐘は、今では想像もできない重い響きを持っていたはずである。 まず不定時法という時刻法では、昼と夜それぞれを6等分し、子の刻、丑の刻、寅の刻、と十二辰刻で表す。さらに一辰刻は順に丑三つ、丑四つ、次に寅一つと、4等分して表すのだが、昼と夜の長さは季節によって、また緯度経度の違いによっても変化する。伸び縮みする時間のなかで、ある時刻を知らせるのが鐘であり太鼓であった。待っているから時間が長く、逢っているから早いばかりでない。そもそも季節や場所によって一刻(約30分)、一辰刻(約2時間)の長さが、変化していたのである。
西洋時計の輸入がわずかに行われていた江戸時代末期、この不定時法と、西洋時計の24時間制の定時法を対応させる変換表が刊行された。同種のものは維新後にいくつかあるが、国文学研究資料館も所蔵する『西洋時辰儀定刻活測』は天保9年(1838年)に小川友忠が著作したが、この本が広まらないので、安政4年(1857年)に鈴木光尚が校訂増補して再び刊行したという。西洋時計の長針短針の見方、時計の正午の合わせ方、明け暮れ六つの決め方を教え、不定時法の時刻と西洋時刻の対応を表にしている。
国文研が所蔵する一帖は明治36年(1903年)に日本橋室町の三井本館内に設立された三井家編纂室に起源を持つ三井文庫の旧蔵資料である。折り畳まれた小さな本に、いくつもの時間が刻まれている。
(特任助教 幾浦裕之)
読売新聞多摩版2022年11月23日掲載記事より