大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2022/12/15

『西洋時辰儀定刻活測』

(せいようじしんぎていこくかっそく)

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 藤原定家の和歌「年も()ぬ祈るちぎりは初瀬山をのへの鐘のよその夕暮れ」では奈良の長谷寺の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)に恋の成就を祈る人物が、ひとり日没の鐘を聞く。何年も祈り続けた大きな時間から、一日の終わりを無情にも告げる鐘の音へのズームアップ。 ひとりの私から、初瀬山全体、そして私とは関わりのない恋人たちを俯瞰(ふかん)する遠景へ。「次から次へと継起する、言葉に伴うイメージの連続、それによって次第に悲しい恋の姿が浮かび上がってくるという、一種推理小説的な」(久保田淳)歌である。『六百番歌合』で詠まれた題詠(フィクションの和歌)であり、詳しくは久保田淳『新古今和歌集全注釈 四』(角川学芸出版 2012年)を参照されたい。
 ここに詠まれた入相(いりあい)の鐘は日没の時報であるが、現代のような時計を持たない時代、時刻を知らせる太鼓や鐘は、今では想像もできない重い響きを持っていたはずである。 まず不定時法という時刻法では、昼と夜それぞれを6等分し、()の刻、(うし)の刻、(とら)の刻、と十二辰刻(じゅうにしんこく)で表す。さらに一辰刻は順に丑三(うしみ)つ、丑四つ、次に寅一つと、4等分して表すのだが、昼と夜の長さは季節によって、また緯度経度の違いによっても変化する。伸び縮みする時間のなかで、ある時刻を知らせるのが鐘であり太鼓であった。待っているから時間が長く、()っているから早いばかりでない。そもそも季節や場所によって一刻(約30分)、一辰刻(約2時間)の長さが、変化していたのである。
 西洋時計の輸入がわずかに行われていた江戸時代末期、この不定時法と、西洋時計の24時間制の定時法を対応させる変換表が刊行された。同種のものは維新後にいくつかあるが、国文学研究資料館も所蔵する『西洋時辰儀定刻活測』は天保9年(1838年)に小川友忠(ともただ)が著作したが、この本が広まらないので、安政4年(1857年)に鈴木光尚(みつひさ)が校訂増補して再び刊行したという。西洋時計の長針短針の見方、時計の正午の合わせ方、明け暮れ六つの決め方を教え、不定時法の時刻と西洋時刻の対応を表にしている。
 国文研が所蔵する一(じょう)は明治36年(1903年)に日本橋室町の三井本館内に設立された三井家編纂(へんさん)室に起源を持つ三井文庫の旧蔵資料である。折り畳まれた小さな本に、いくつもの時間が刻まれている。

(特任助教 幾浦裕之)

読売新聞多摩版2022年11月23日掲載記事より

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