『伊勢風流/松続紀原』
(いせふうりゅう/うたがるたのはじまり)
江戸時代中期の草双紙愛好家に三田村彦五郎がいる。草双紙は江戸時代中期から明治初期の長きにわたって江戸の地で刊行された、挿絵を中心に据え、余白にストーリーやせりふを配置した娯楽本であるが、彼は宝暦期(1751~1764年)後半から明和期(1764~1772年)にかけての熱心な読者であった。 武家の子息で、草双紙をコレクションし、「此主彦五郎」などと本に署名し、時には年月日を書くこともあった。挿絵に何色もの絵具を用いて丹念に彩色した例も多く、草双紙を大切にし、楽しんでいた様子がわかる。マンガ本に名前を書き、塗り絵をした幼少期を思い出すと、ぐっと草双紙や彦五郎少年を身近に感じるのだが、彼の書入れは、現在、研究上貴重な情報をもたらすものとして注目され、通称三田村本と呼ばれている。
国文学研究資料館が所蔵する三田村本に、明和3年(1766年)刊『伊勢風流/松続紀原』がある。「松続」の本来の読みは「ついまつ」で、松明を意味する。『伊勢物語』六十九段の、斎宮の歌の上の句に対し、在原業平が松明の炭で下の句を書きつけたエピソードから、和歌の上の句と下の句を取り合わせる遊び(歌がるた)を指す。本書は題名から『伊勢物語』六十九段を現代風にアレンジした内容と想像させるが、実際には他に初冠、芥川、東下り、梓弓、筒井筒といった、高校の教科書に載る有名な章段を中心に、様々な場面が切り貼りされた構成になっている。教科書と違うのは、全ての場面の主人公が業平と明示される点。筒井筒の男も業平で、相手の女性は紀有常の娘となる。これは能「井筒」にもみられ、江戸時代には至極当たり前の解釈だったらしく、経緯の説明もなく事実として示される。
本作は『伊勢物語』の各場面を極力単純化し、次々とつないだ作品だが、最後の見開き一面には一定の創意が見られる。百二十段の筑摩の祭に取材する場面で、原典では鍋冠の神事を、歌中に引いている。現在行われている鍋冠の神事は数え八つの少女が作り物の鍋を被いて練り歩くが、元来は関係を結んだ男性の数の鍋を被くというもので、『伊勢風流/松続紀原』では風流(現代)の祭りの情景として描く。その中に、関係を結んだ男性の数を隠したい女性が、大鍋の中に幾つかの小鍋を隠していたのに、転倒により露呈する挿話を付け加え、挿絵を生かした滑稽味を出しており、いかにも明和期の草双紙らしい。
(機関研究員 松原哲子)
読売新聞多摩版2022年10月26日掲載記事より