大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2023/10/26

播磨屋中井家日記(霜月十五日賊一件)【上】

(はりまやなかいけにっき しもつきじゅうごにちぞくいっけん)

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 6月7日に掲載した「播磨屋中井家日記『窮民群衆一件』」は慶応2年(1866年)9月のことであった。それから1年以上経過し、幕末政治情勢はいよいよ大詰めである。慶応3年10月の大政奉還の後、江戸の治安はますます悪化している。11月1日から江戸金吹町(現在の日銀本店付近)の両替商播磨屋中井家は、幕府歩兵10人程度が交代で警備するようになっていた。
 国文学研究資料館にある歴史資料のなかの播磨屋中井家日記、慶応3年11月15日条の次のページには写真のように「霜月十五日賊一件」と題する長大な横長の紙(横切継紙)が貼り付けられている。以下、これの要点を紹介する。
 11月15日午前3時頃、金吹町の自身番屋に、頭巾で顔を隠し、羽織袴を着た約20人の集団が訪れる。彼らは刀剣のほか短筒(ピストル)・大斧(おおおの)、鉄の棒も持っている。番人は中井家への案内を要求されるが、彼は驚いてただ震えるばかりである。
賊のうち2、3人は「声を立てたり逃げ出したりするとこうするぞ」と言って銃口を向ける。残りは中井家店舗の大戸を大斧と鉄棒で打ちこわした。頭とおぼしき者は右手に短筒を、左手に提灯(ちょうちん)を持ち、入り口めがけて発砲した。
 このとき、店舗の1階には16、17人の奉公人がいた。彼らは台所、または2階へ逃げ出した。「御人数方」(幕府歩兵隊か)は袖がらみと六尺棒で対抗したが、未明のため少人数である。
 若者平七が引き留められて「主人方に案内せよ」と言われるが、「御人数方」と少々打ち合っている隙に雪隠(せっちん)に逃れ、小窓から佐七方(隣家か)に逃げ込んだ。賊徒は大声で「無礼者、手向かいする者は皆、なで切りにせよ」と呼ばわった。店の奥の方めがけて2、3発発砲し、白刃で戸障子を切り払い、「兵士」(幕府歩兵か)を探した。
 手代の惣兵衛と市五郎はすぐに奥へ注進し、旦那様と奥様、それにお子様はそれぞれに隠れた。女中たちは物干し場に上ったところ、賊が屋根づたいに居たため、驚き騒ぎ立った。
 下男万助が表口に逃げ出したところ、賊に引き留められて金のありかを尋ねられた。彼は「私は新参の下男なので何も知りません」と言ってまた店内に逃げ込み、台所の炭入れ揚げ板の下に隠れた。2階には丁稚2、3人を含む15、16人がおり、3階の床部屋や「地獄ひつ」に隠れた。
 この先は次回に紹介する。

(教授 渡辺浩一)


読売新聞多摩版2023年8月23日掲載記事より

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