大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2023/10/26

播磨屋中井家日記(霜月十五日賊一件)【下】

(はりまやなかいけにっき しもつきじゅうごにちぞくいっけん)

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 国文学研究資料館歴史資料のなかの一つである「播磨屋中井家日記」に貼り付けられていた慶応3年(1867年)の「霜月十五日賊一件」の続きを紹介する。武装集団が播磨屋中井家を襲い、奉公人たちが逃げ回っている状況である。
 奉公人たちがそうしているうちに、賊頭は呼子の笛を吹き、「引き揚げろ」と言ってしばらく物音が()んだ。芳太郎は2階から店の「前之間」辺りに来て、廊下の口から提灯(ちょうちん)を差し出すと、店の方に集まっている者がいる。
彼は店内の者と思って声を掛けてみたところ、頭巾をかぶって短筒を持った者が「来い来い」と呼び止めるので、驚いてまた2階へ逃げ上がった。賊はやにわに2、3発発射したが、玉は外れた。芳太郎はすぐに「地獄ひつ」に逃げ込み「実に地獄の呵責(かしゃく)もこのようなものか」と、ただ念仏を唱えた。
 さて、賊徒は丁稚(でっち)の米治郎を見つけて店の穴蔵に案内させ、鍵を刃でこじったり、鉄砲を撃ち掛けたり、大斧(おおおの)で14、15回も続け撃ちにして錠前を破り、穴蔵に降りた。そこには1万1000両が六つの袋に分けてあり、そのほか多額の現金があった。
 幕府歩兵隊の両替町・駿河町詰所から20~30人ほどが繰り出し、本町長屋の前に集まって発砲したため、賊徒は逃げ足になり、歩兵隊は自身番の太鼓を打たせ、勝ちどき上げて追討した。「謀計(ぼうけい)」があるかもしれないということで、深追いはしなかった。
 最後にこの事件は、このようにまとめられた。
 「中井家内には鉄砲の穴が数か所あったけれども、旦那・奥方、店の奉公人、台所奉公人、女中に至るまで一人もけがはなかった。これは神仏のお恵み、また旦那様の『御運徳』のおかげと、奉公人一同は中井家当主・家族も含め全員無事であったことのみ祝った」
 以上は、まるで時代劇のワンシーンのようであるが、私の創作は一切含まれていない。原文はこれ以上に詳細である。なお、翌日に提出された被害届によれば、このとき盗まれた総額は8893両であった。

(教授 渡辺浩一)


読売新聞多摩版2023年8月30日掲載記事より

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