大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2023/8/ 1

播磨屋中井家日記(築地本願寺本堂再建関係書状)

(はりまやなかいけにっき)

1000watanabe8.jpg

 台風や大雨が心配な季節になったので、今回は台風の話題。安政3年(1856年)8月25日に東海・関東甲信越・南東北という広範囲に被害をもたらした「安政東日本台風」が来た。この台風は雨よりも暴風の方がひどく、関東地方全体で推定12万棟以上の建物が損壊した。前年の安政大地震によって建物が弱体化していたことも大被害の原因の一つである。
 この台風で、築地本願寺の本堂は屋根の形を残したまま倒壊した。この再建をめぐる書状が国文学研究資料館歴史資料のなかにある。それは播磨屋中井家日記、安政4年(うるう) 5月10日の記事がある(ページ)の中(袋とじ帳面の丁のなか)に残されていた。書状の作成者は中井を含む勘定講メンバー3人、宛先は京都本山から派遣されてきた人物である。築地本願寺には門徒の自発的組織として当時12の講があった。供え物を準備する御供物(おくもつ)講、本堂などを清掃する御掃除(おそうじ)講などといった奉仕集団である。勘定講はそのなかの一つとして本願寺の支出の立替えを行っていた。書状要旨は以下の通りである。
 「築地本願寺本堂再建につき、仮本堂を建ててその上本堂を再建するのは難しい、仮本堂は見合わせ御対面所(ごたいめんじょ)で間に合わせて本堂を再建すべきではないかと申し上げた。しかし、そのあと他の講とあなたが相談し仮本堂建設となった。しかし彼らの気持ちはどうであろうかと心配している。他の講へも相談して決定されるべきと考える。『近年打ち続きの天変にて不都合の折柄(おりから)』、行き届かないため申し上げた。」
 築地本願寺の勘定講が、京都本山と復興をめぐって協議している。地震と台風の連続という「天変」のなかで、仮本堂を建設せずに対面所で代替するというより費用のかからない方法を勘定講は提案したが実現しなかったようである。
 さらにこの件については勘定講以外の講との協議を求めている。このときの本山および築地本願寺側の事情としては、親鸞六百回忌=文久元年(1861年)3月=が近づくなか、その行事のため、法主が築地本願寺を訪れた際に仮本堂というわけにはいかない、ということがあった。
 被災地の事情をあまり考慮しない京都本山と江戸の勘定講の間で、復興手順をめぐって若干の軋轢(あつれき)が生じていたことがわかる。もっとも、熱心な信仰心は共有されているため、江戸に多数ある築地本願寺の講の組織力もあいまって、万延元年(1860年)11月には本堂は再建され、無事に親鸞六百回忌を迎えることができた。
 詳しくは、国文学研究資料館・高麗大学編『アジア遊学255 東アジアにおける知の往還』(勉誠出版、2021年)をご覧ください。

(教授 渡辺浩一)


読売新聞多摩版2023年7月5日掲載記事より

ページトップ