大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2023/7/21

源氏物語絵巻

(げんじものがたりえまき)

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 『源氏物語』には四季折々の美が描かれるが、実は夏が舞台となる巻はとても少ない。夏という季節のどうにもならない激しさ、刹那(せつな)のみずみずしさは、「雪月花」の定型美からはおよそ遠いところにある。それは「暴虐(ぼうぎゃく)の美」と呼ぶべきものかもしれず、光源氏17歳の夏の終わりは、そのような恋に向かって差し出されている。
 病気の乳母(めのと)を見舞うため、光源氏はその日たまたま、五条の大路(おおじ)牛車(ぎっしゃ)()めていた(写真左下)。当時の平安京において、五条というのはあやしげな庶民の住むエリアであり、貴人の生活圏外であることは言うまでもない。
 車内から外をうかがっていた光源氏は、夕暮れのむさ苦しい大路の中に、こざっぱりとした白い(すだれ)の小家を見つけてふと心を留める。その板塀を見れば青々としたつる草が気持ちよさそうに()いかかり、白い花が「おのれひとり笑みの眉ひらけたる(一人でいかにも楽しそうに顔をほころばせている)」といった風情で咲いていた。
 陋屋(ろうおく)に咲く花は無論、この家に仮住まいをしている女の比喩である。偶然の花の縁に引かれた恋は燃え上がり、秋には女のはかない死をもって終ったのであった。この女は物語の読者たちに非常に愛され、やがて「夕顔」の呼称で呼ばれるようになったのである。
 たそがれ時に浮かび上がる可憐(かれん)な白い花が印象的なこの場面は、源氏絵の伝統的な図様として、絵画をはじめ工芸品などにも広く用いられてきた。中心に描かれるのは従者と女童(めのわらわ)挨拶(あいさつ)の様子(写真中央)であり、奥には物見(ものみ)(だか)い女房たちの顔がのぞく(写真中央上)。
 当館所蔵の本作品は、幕末に活躍した大和絵の絵師、浮田(うきた)一蕙(いっけい)(1795~1859年)筆との箱書(はこがき)極書(きわめがき)を持つ。2巻にわたり『源氏物語』五十四(じょう)の名場面をおさめ、所々に狩野派の影響が見られる。
 穏やかな色調とやわらかな筆致は、浮き足立つ初夏の心をなごませるにふさわしい。ぜひ当館サイトで気軽にカラー画像を楽しんでいただきたい。

(准教授 中西智子)


読売新聞多摩版2023年6月21日掲載記事より

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