源氏物語絵巻
(げんじものがたりえまき)
『源氏物語』には四季折々の美が描かれるが、実は夏が舞台となる巻はとても少ない。夏という季節のどうにもならない激しさ、刹那のみずみずしさは、「雪月花」の定型美からはおよそ遠いところにある。それは「暴虐の美」と呼ぶべきものかもしれず、光源氏17歳の夏の終わりは、そのような恋に向かって差し出されている。
病気の乳母を見舞うため、光源氏はその日たまたま、五条の大路に牛車を停めていた(写真左下)。当時の平安京において、五条というのはあやしげな庶民の住むエリアであり、貴人の生活圏外であることは言うまでもない。
車内から外をうかがっていた光源氏は、夕暮れのむさ苦しい大路の中に、こざっぱりとした白い簾の小家を見つけてふと心を留める。その板塀を見れば青々としたつる草が気持ちよさそうに這いかかり、白い花が「おのれひとり笑みの眉ひらけたる(一人でいかにも楽しそうに顔をほころばせている)」といった風情で咲いていた。
陋屋に咲く花は無論、この家に仮住まいをしている女の比喩である。偶然の花の縁に引かれた恋は燃え上がり、秋には女のはかない死をもって終ったのであった。この女は物語の読者たちに非常に愛され、やがて「夕顔」の呼称で呼ばれるようになったのである。
たそがれ時に浮かび上がる可憐な白い花が印象的なこの場面は、源氏絵の伝統的な図様として、絵画をはじめ工芸品などにも広く用いられてきた。中心に描かれるのは従者と女童の挨拶の様子(写真中央)であり、奥には物見高い女房たちの顔がのぞく(写真中央上)。
当館所蔵の本作品は、幕末に活躍した大和絵の絵師、浮田一蕙(1795~1859年)筆との箱書・極書を持つ。2巻にわたり『源氏物語』五十四帖の名場面をおさめ、所々に狩野派の影響が見られる。
穏やかな色調とやわらかな筆致は、浮き足立つ初夏の心をなごませるにふさわしい。ぜひ当館サイトで気軽にカラー画像を楽しんでいただきたい。
(准教授 中西智子)
読売新聞多摩版2023年6月21日掲載記事より