大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2023/12/21

播磨屋中井家日記(薩州賊藩御召捕一件)【下】

(さっしゅうぞくはんおめしとらえいっけん)

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 国文学研究資料館歴史資料のなかの江戸の両替商播磨屋中井家日記、慶応3年12月25日条の紹介の続きである。(上)では江戸薩摩藩邸を幕府軍が攻撃する様子を紹介した。
 このような騒動があったので、多くの門はいうまでもなく、京橋・日本橋、永代・両国・吾妻橋などに諸大名が大小砲を引き立て、小具足・陣羽織を着て警戒にあたった。薩賊は品川沖に本国から来た大船があって、事が露見した時はこの船に乗り込み、逃げ去る手はずであった。すでに幕府軍艦が押し寄せ、「舟戦」があった。賊船1隻が浸水したが逃げ去ったとのことである。
 この徒党を生け捕りにして吟味したところ、春以来、江戸市中所々に押込みをした賊は全て薩摩藩とのこと。「西国名家の藩にして賊の所業とは何事に候や」。市中はまずもって大賊の憂いを除き、御武徳の程()(がた)い。しかしながらこのうえ薩の行動により御国内の動静はどうであろうか、(これ)もまた案ずることである。天下泰平を祈るばかりである。
 この事件は、幕末維新史では有名な事件である。薩摩藩の挑発に幕府が乗ってしまったという評価もある。
 幕府御用商人の手代が書いているので、徳川びいきの記述であることはやむを得ない。私が興味深く思うのは、薩摩藩や庄内藩の行為に対する評価基準が歴史であるという点である。
 「西国名家の藩」というのは島津家が徳川家よりもはるかに古く、鎌倉時代の御家人以来の歴史があったことを指しているのであろう。軍記物などを通じて、それぞれの過去に関する情報が常識的知識として一般に広まっていた。
 また、最後の部分では江戸時代の日記には珍しく感想が述べられている。賊の排除によって江戸の治安が回復したことを徳川の「御武徳」としている点は、平和を維持することが統治者の責務であるとの江戸時代の人々の意識が前提となっていると読める。
 しかし、今後の日本の状況を非常に心配している点は、時代の変わり目を感じさせる。最後に「天下泰平」を祈っているが、歴史はそうはならなかった。鳥羽・伏見の戦いまであと8日である。

(教授 渡辺浩一)


読売新聞多摩版2023年11月1日掲載記事より

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