美濃派歳旦帖
(みのはさいたんじょう)
来年は辰どし。今年もあっという間に師走に入り、身辺もそぞろ慌ただしくなってきた。 加速度的に進むデジタル化の影響を受けて、年賀状文化は急速にスモールサイズ化してきており、実際、年賀LINEや年賀メールで済ませる向きも相当に増えてきた。年始の風物詩にも〈多様性〉が見てとれよう。
ところで年賀状の淵源は、いったいいつか。文化史的にこれを眺めれば、それはどうやら江戸期に盛んに行われた「歳旦帖」がこれに当たるものかと考えられる。
「歳旦帖」というのは、年頭の披露・配布に合わせて前年暮れに編集・印刷された特定グループによる作品集のことで、漢詩や和歌によるものもあるが、圧倒的に多いのは俳諧のソレである。通常は、歳旦三つ物(歳旦の祝詞としての発句・脇・第三の三句)と歳旦引付(一門・知友らの歳旦・歳暮吟)で構成され、文字通り一門の挨拶代わりとして、年始の時期に盛んに「贈答」された。
例えば、雅致に富んだ瀟洒なものとしては、『安永三年蕪村春興帖』(早稲田大学図書館雲英文庫蔵本が孤本)がまず思い浮かぶ(厳密には「歳旦帖」と「春興帖」は異なるのだが、今は措く)。萌黄色刷りの罫は美しく、蕪村自筆版下の俳画はたいそう味わい深い。
その一方で、江戸中後期に全国的に大量に流布したのは美濃派による歳旦帖だ。これは、蕪村一門とは異なって、本文共紙の表紙を入れてもせいぜい3~5丁ほどの薄冊であり、簡素なことこの上ない。
美濃派は、芭蕉門の支考(1665~1731年)を祖とする俳諧流派の一つで、「俗談平話」を旨として、全国に一大勢力を持った。その称は、支考の生地である美濃に因む。当時はおそらくどこにでもあった美濃派歳旦帖だが、(私たちの年賀状がそうであるように)300年後の今に伝存するものは珍しい。彼らの素朴な詠みぶりは、かえって当代のごくごくふつうの人びとの息吹を伝えてくれて貴重である。
(教授・副館長 神作研一)
読売新聞多摩版2023年12月13日掲載記事より