百人一首かるた
百人一首かるた
(ひゃくにんいっしゅかるた)
江戸後期に作られた塗り箱入りのかるた。札は縦8センチ、横5.5センチ。濃彩の歌仙絵が美しい
2022年秋に刊行された研究書「百人一首の現在」(中川博夫ほか編、青簡舎)は、その書名そのままに、百人一首研究の最前線を示した諸論考を収載する。そこでは、紆余曲折を経て今やほぼ定説とされている定家撰説が丁寧に再検証、批判されるとともに、南北朝期の二条派歌人頓阿を撰者とみる可能性が提示された(小川剛生論文)。
これを承けていま学界は、百人一首定家非撰者説に大きく傾きつつあるのだが、そうした成立論はお措き、今回はかるたの話。
私の住む地元では、多くの小学校で毎年1月に、百人一首のかるた大会が賑やかに行われている。だから年が明けると、各学年とも、「これやこのォ......」とか「ひさかたのォ......」などと口ずさむ声でいっぱいだ。意味なんて分からなくていい。ただ七五調の心地よいリズムにのせて古歌を諳んじること、ただそれだけで、彼らはいったいどれほど豊かなものを獲得していることであろうか――。
天正年間(1573~92年)というから、もう400年以上も前のことである。かるたは、はるかポルトガルからやってきた。「加留多」「賀留多」などとも表記するが、もとはcartaというポルトガル語だ。この外来の遊戯が、日本古来の「歌貝」(一対の貝殻の内側に和歌の上の句と下の句を分けて書き、それを合わせた遊び。室町頃から行われた)と結び付いて、「歌がるた」が生まれた。
江戸時代には、「伊勢物語かるた」「源氏物語かるた」「三十六歌仙かるた」「自讃歌かるた」等々、さまざまなものが作られたが、最も流布したのは、ご存じ「百人一首かるた」だった。木版刷りももちろんあるが、やはり何といってもかるたは肉筆のものが美しい。
わたくしども国文研にも各種のかるたが所蔵されており、その美しさは、「国書データベース」に登載されたデジタル画像で感得できるが、ここはひとつ新年にちなみ、国文研1階の図書館で、ぜひホンモノを手に取ってほしい。
(教授・副館長 神作研一)
読売新聞多摩版2024年1月10日掲載記事より