播磨屋中井家日記(薩州賊藩御召捕一件)【上】
(さっしゅうぞくはんおめしとらえいっけん)
今回は鹿児島県出身の方には申し訳ない話である。国文学研究資料館歴史資料60万点のなかに、江戸の両替商播磨屋中井家日記80冊(ホームページで全画像公開中)がある。そのなかから、慶応3年12月25日条を紹介する。
今朝午前9時頃、芝にある薩摩藩上屋敷から火の手が上がった。(略)江戸市中に盗賊が多数いて、それは薩摩藩の者との風聞がある。(略)薩摩藩上屋敷には、庄内藩(酒井家)の人数が出張した。最初庄内藩の2人から薩摩藩留守居方(藩の対外交渉役)へ行き、賊党を引き渡すように交渉した。
しかし、そのような者はいないとの手強い回答であった。「よく調べて交渉しているのだ。強いて引き渡さないのであれば、鎗・刀にかけて引き連れ行くぞ」と言い捨てて、藩邸の門を出た。すぐに薩は「ぼんべん」(野戦砲)を1発撃ち、敵対する様子であった。
そのため、兼ねて待機していた庄内勢は「すわ打ち入り(突入だ!)」と大砲を2、3発撃ち込み鬨の声を上げて薩摩藩邸に突入した。その有りさまは、「天晴れ、徳川家の四天王と称する御家柄、目覚ましきこと(さすが徳川四天王の子孫、とてもすばらしい!)」。
徳川四天王とは、家康の家臣であった酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政のことである。現在放映中NHK大河ドラマ「どうする家康」では、大森南朋・山田裕貴・杉野遥亮・板垣李光人がそれぞれ演じている。このうち酒井家が庄内に封ぜられることになったという歴史を踏まえた称賛である。
紹介に戻る。この砲撃を合図に、薩摩藩邸の隣の島津淡路守屋敷(日向佐土原藩邸)に松山藩などと幕府歩兵隊、高輪の薩摩藩中屋敷へは同撒兵隊が攻撃し、3か所から同時に上がった黒煙が天を覆った。恐ろしいことである。
また、薩摩藩からもしきりに発砲し、いさぎよく戦ったけれども、追々賊党は切り取られ、逃げる途中で切るもあり、捕えるもあった。焼死・生け捕りを数えることはできない。
虎口を逃れて逃げ去る賊は30~40人。田町通りを逃げながら町家へ発砲・放火したため田町5丁目から6・7丁目が焼失した。高輪・品川あたりに逃げ散り、海岸の舟を奪って逃げ去る者もいたということだ。この先は次回。
(教授 渡辺浩一)
読売新聞多摩版2023年10月25日掲載記事より