絵本草源氏
(えほんくさげんじ)
「源氏物語」を基にした作品には、登場人物を描かず、関連するモチーフを象徴的に描くことで「源氏物語」を想起させるものがある。いわゆる「留守文様」と呼ばれるもので、今回紹介する「絵本草源氏」内の「草源氏」もその一つである。
当館所蔵の「絵本草源氏」には、享保3年(1718年)刊との記載がある。伝本は極少数で、稀覯本と言える。絵師は「一流筆工」との記載のみで未詳。「草源氏」に加えて、「都東八景」(5図)、「鏡団唐子」、「源氏香之図」、「貝合 源氏人形 貝桶」、和歌を添えた「近江八景」が収録される。
見返しの目録によれば2冊とされるが、現存するのは1冊本である。なお、「源氏香之図」はいくつかの巻が同図となってしまっている他、「都東八景」が八景と謳いながら5図であり、「源氏物語」との関連も薄いが、恐らくは「源氏物語」から連想した絵を詰め込んだものと思われる。
「草源氏」は細やかな線で草木による「源氏物語」の世界を描く。「箒木」「葵車あらそひ」「若紫」「須磨」「紅梅泉水輪橋の景」「花宴」「明石」「寄生」の8図が収録される。
「源氏物語」の巻名を冠しつつ、草木や建物、鳥などを中心に描いている。例えば、写真の資料は葵巻の車争いの場面を元にしているが、男たちの乱闘は排され、木陰に佇む車が不思議な静謐さをもって描かれている。この絵を「源氏物語」読者が見ることで、入り乱れる男たちやその背後にある女君の情念が、物語の知識に裏打ちされた想像力の中に立ち上がってくるのである。
現代でも、時に愛する作品のそのものを享受するのではなく、さりげない符号のようなモチーフで自らを楽しませたり、同好の士と目配せしあって機知を共有したりことがある。当時の熱心な読者たちもまた、草木の中から物語の世界を読み取り、豊かに広げていくことができたのだろう。この一冊からは、当時の物語読者の様子をも想像させられる。
(機関研究員 小泉咲)
読売新聞多摩版2023年10月11日掲載記事より
