『春日懐紙』
(かすがかいし)
和歌会の席で、自作の和歌を自筆で書き留めて披露するための料紙を懐紙と呼ぶ。今に至るまで数多く認められてきたそれらの中に、世に「三懐紙」と称され、珍重される和歌懐紙の名品がある。一品経懐紙、熊野懐紙、春日懐紙がそれである。
京都国立博物館に14枚が1帖と1幅に仕立てられて所蔵される国宝・一品経懐紙は、治承4年(1180年)から寿永元年(1182年)の間に書かれた和歌懐紙で、『法華経』28品の1品ずつを西行、寂蓮などの新古今時代の歌人たちが詠む。
熊野懐紙は、熊野三宮への信仰に篤かった後鳥羽天皇が、参詣の道程で随身とともに催した歌会の折の懐紙。京都の陽明文庫や本願寺などに、天皇をはじめ、藤原定家、藤原家隆などの著名歌人の懐紙が分蔵されている。国宝、重要文化財に指定されるものも多い。
春日懐紙は、鎌倉時代の中期に春日社の神官や興福寺の僧侶たちが詠んだ和歌を記した懐紙で、文学史上の著名人の詠作は含まれないものの、奈良の地に興った歌壇の隆盛を伝える貴重な遺品である。石川県立歴史博物館に17枚、国文研に28枚と1幅がまとまって所蔵され、いずれも重要文化財に指定されている。
現在では、美術作品としても文学・歴史資料としてもその価値が広く知られる春日懐紙であるが、実はこれは、歌会で用いられた後反故紙として一旦は破棄されたものなのである。裏面の白紙を再利用して冊子が作られ、そこに中臣祐定によって寛元元年(1243年)から同2年の間に『万葉集』が書写された。和歌はその紙背文書として保存されて伝来した。
この冊子は、江戸時代には加賀藩主前田家の所蔵に帰し、そこで綴じがはずされて、和歌懐紙の面が再び世に現れることとなった。裏面にまわった『万葉集』は、懐紙側に文字が透けて鑑賞の妨げとなるため、ほとんどが消し去られてしまったが、擦り消しを免れた一部が伝わっていて、現在の研究では、「春日本」と称され、『万葉集』の伝来と本文の歴史を知る上で重要な資料となっている。上記の写真に筋状に見える墨痕は紙背に記された『万葉集』の痕跡である。
(教授 海野圭介)
読売新聞多摩版2020年12月16日掲載記事より