大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2020/12/18

『澄印草等』

(ちょういんそうとう)

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 清少納言は、お坊さんの説法を聞くのが好きだったらしい。『枕草子』第30段には、〈説経の講師は顔が良い方がよい。講師の顔に見とれて見守っていると、その説き聞かせる仏法のありがたさも分かるものだ〉などと記されている。仏の言葉を伝える僧侶は、今で言うのならばさしずめアイドルか。
 往古より、先祖の安らかなることを祈り、施主自身の現世の幸福、来世の往生を願って数々の法会が催されてきた。宮中での仏事となれば、我々一般の法事からは想像もできないほどの盛大なイベントであった。その法会の場で、仏を賛嘆し、仏の世界を現前させる説法を行う導師は、衆人の注目を集める存在であり、その発する言葉に聴衆は昂揚(こうよう)し、また涙を落とした。
 『平家物語』の時代、後白河院に近接して隆盛を極めながらも、平治の乱で敗れ、その首が市中にさらされたと伝えられる少納言入道信西(しんぜい)(藤原通憲)の七男・澄憲は、比叡山に学んだ天台宗の僧侶で、説法の名手として知られる。
 南北朝時代に成立した諸家の系図を集成した『尊卑分脈』の「澄憲」の項目にも、「四海大唱導一天名人也(天下の大説法師で右に出る者のない名人だ)」と称讃の言葉が書き付けられている。「唱導」とは、仏法を説いて衆生を仏の道に導く語りのことで、澄憲の一流はその居所に因んで、安居院流と称される唱導の一派をなす。
 国文研蔵『澄印草等』は、そうした澄憲の説法を伝える作品の一つ。本書に収められた養和2年(1182年)仁和寺宮五部大乗経供養は、後白河院とその息・守覚法親王が、仁和寺大聖院において覚性入道親王の菩提(ぼだい)を祈り、白檀(びゃくだん)の阿弥陀如来像と五部大乗経を供養した際の次第で、澄憲の語りの技を伝える見事な表白(仏徳を讃嘆し法会の趣旨等を述べる文章)の全文が記録されている。
 安居院の唱導は、多くの仏典や詩文・故事を参看した美文で記され、仏の浄土もさぞやと思わせる修辞を凝らす。その華麗な言葉のあやは、中世に花開いた晴れの儀の文学としての唱導の姿とそれが語られた法会の場の荘厳な雰囲気とを今に伝えている。

(教授 海野圭介) 


読売新聞多摩版2020年12月2日掲載記事より

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