『悦目抄』
(えつもくしょう)
著者は誰か。これは書物の読者にとって常に重要な関心事である。例えば歌書の場合、著名な歌人の著作となれば、その権威により価値の高いものとして受け入れられるからである。そのため中世の歌書には、成立事情を自ら偽り、作を高名な歌人に仮託した「偽書」が数多く存在する。
その一つがここに紹介する『悦目抄』という歌学書である。平安時代の有力歌人・藤原基俊(1060~1142年)の著作であることを装ってはいるものの、実は鎌倉時代後期頃に作られた書である。図版に掲げた箇所には、「歌は必ずしも初句から順に詠まなければいけない訳ではない。途中の句からでも下句からでも、詠むことが出来る箇所から詠むべきだ」という趣旨の内容が記されている。何と言うことはない初学者の心覚え的な内容であるが、これを無名の歌人が言うのと、和歌史に燦然と名を残す歌人が言うのとでは、その説得力も段違いだ。
中世以降の歌壇において最高の権威を有する御子左家を確立したのは藤原俊成(1114~1204年)だが、基俊はその師として知られる。『悦目抄』は基俊から藤原俊成、俊成女らを経て、嫡流の二条家に「一子相伝」で伝えられたことを偽装している。この書を手にした者は、自らもそのような正統な歌道家の系譜に連なったという意識を持つことが出来る。そうした歌道家に連なりたいという願望もあってか、この書は中世から江戸時代に至るまで、和歌を詠む様々な階層の人々に広くもと需められた。江戸時代には2種の版本が刊行されているのに加え、かの塙保己一の編になる一大叢書『群書類従』にも収録されている。写本残存数も非常に多い。国文学研究資料館だけでも版本・写本合わせて10本ほどの伝本を所蔵し、その流行のほどをうかがわせる。ここに図版として掲げたのは館蔵になる正保2年(1645年)刊本である。
我々はともすれば「偽書」をニセモノ、即ち価値の低いものと位置づけがちではある。けれども、多くの人々が「偽書」を求め、重んじてきたという事実は、日本の文化史を考える上で無視できない一こまである。
(プロジェクト研究員 舘野文昭)
読売新聞多摩版2021年9月29日掲載記事より