『見立番付「新古興廃くらべ」』
(みたてばんづけ「しんここうはいくらべ」)
実業家渋沢栄一の孫で、民俗学者の渋沢敬三(1896~1963年)は日本常民文化研究所(アチック・ミューゼアム)を主宰し、多くの史料を収集した。その一部を当館では所蔵している。
江戸時代に書籍を作成・販売した商人は書物問屋、地本問屋、板木屋、貸本屋、露天商・古道具屋であるが、摺物作成の主力は絵草紙を扱う地本問屋・板木屋であった。彼らは、相撲番付に模して様々な事物に序列をつけた見立番付を作成した。興隆期は文化・文政期で、天保期になると収集家も登場する。その一人で京都の歌人、野口比礼雄は、『はねつるへ』の序文で、雅となく俗となくえらび集めた見立番付は、その読み解きに妙味がある、と語っている。なにごとにも階層差があった江戸時代、見立番付は文化の階層(雅俗)を凌駕すると評する。
見立番付は明治時代になっても作成された。明治15年(1882年)版の「新古興廃くらべ」(図版)は地本問屋長谷川忠兵衛による考案・出版である。店は今の東京都千代田区にあった。本史料は大判(縦38㎝、横50㎝)で、新旧それぞれ55の項目をたてている。
内容を一部紹介すると、元締は文明開化を推進する「開明進歩」とこれに抵抗する「旧弊頑固」。行事は「朝帝の御巡幸(おてがる)」、「将軍の御成(やかましい)」。なお、丸括弧内は謎解きの「その心は...」といったところで、あとから読んだ方が面白い。
番付西方の江戸の名残りは「熨斗目麻上下(行儀正しき)」、「大名行列(凛々しいもの)」。明治の生活を伝えるものに「西洋時計(昼夜平均)」「太陽暦(もとにかえる)」「月末の満月(変わったものサ)」がある。これらは1873年1月1日に始まる太陽暦の採用を表現している。太陰太陽暦では新月は1日、満月は月の中旬である。「月末の満月」とは太陽暦による生活変化をズバリと言い当てる。歴史を実感させる項目である。
(教授 藤實久美子)
読売新聞多摩版2021年10月6日掲載記事より