『詠歌一体』
(えいがいってい)
『新古今和歌集』は中世和歌文学の一つの頂点として文学史上に高い評価を有し、中学校・高校の教材としてもおなじみである。 教室ではこの和歌を観賞し、新古今歌人たちの美意識が探究されている。
ところで、中等教育の授業で意外と触れられていないのが、中世の和歌のほとんどが「題詠」であるということである。「題詠」とは事前に定められた題に基づいて和歌を詠むこと。例えば教科書にも頻出する宮内卿の「聞くやいかにうはのそら空なる風だにも松に音するならひありとは」という一首は、「寄風恋(風に寄する恋)」という歌題で詠まれた題詠歌である。彼女の現実の恋愛体験の中で湧き上がった心情が投影されているわけではない。
歌題には詠みやすい題もあれば、詠むのが難しい「難題」もあったようである。ここに掲げた『詠歌一体』(「八雲口伝」とも)は藤原為家作とされる歌論書であるが、「池水半氷(池水半ば氷る)」という題の「半」という字が「難題」である旨が記される。その字義である「全体の50%」というのが和歌では詠みにくかったようである。
同題で、新古今時代の代表的歌人である藤原良経は以下の和歌を詠んだ。
池水をいかに嵐の吹き分けて氷れる程の氷らざるらん
直訳すると「池の水をどのように嵐が吹き分けることによって、氷っている水面と同じ程度の水面が氷っていないのであろうか」といったところか。下句の表現はやや優雅さに欠けるが、面積のほぼ半分が氷っている様が詠まれており、「半」の字義を正しく表現している。『後鳥羽院御口伝』にこの歌に対する「歌がらさまでならねど、題の心をいみじく思はれて興もある事」という評が見えるが、風雅よりも題意を正確に表現することを優先した作と言える。そしてそれは評価され、後に『続古今和歌集』に入集する。
図版の『詠歌一体』(八雲口伝)は江戸時代前期に刊行された『和歌六部抄』の中の一冊。「和歌六部抄」とは中世二条派で重要視された『近代秀歌』『正風体抄』『毎月抄』(京極黄門庭訓抄)『詠歌一体』(八雲口伝)『夜の鶴』(四条房口伝)『近来風体抄』の六種の歌論をいう。
(プロジェクト研究員 舘野文昭)
読売新聞多摩版2021年9月8日掲載記事より