大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2022/8/24

『情話新集』叢書

(『じょうわしんしゅう』そうしょ)

1000tada4.png

 明治の終わりから大正にかけて、「江戸趣味」と呼ばれるブームがあった。現在、1980年代や90年代の文化が見直されるのにも似ている。文学、美術、ファッション、百貨店の広告などに江戸時代の意匠が積極的に利用された。今回ご紹介する新潮社の『情話新集』叢書(そうしょ)(大正4~6年、1915~17年)は、「江戸趣味」の文学を語る上では欠かせないシリーズである。
 瀟洒(しょうしゃ)(ちつ)(和とじの本を包むおおい)や各冊の表紙に描かれた竹久夢二の絵が、まずは目を奪う。小山内薫『江島生島』や田村俊子『小さん金五郎』など、歌舞伎でよく知られる題材をリライトした作品、そして田山花袋『恋ごゝろ』のように現代の恋愛を描いた作品がある。岡本綺堂『箕輪心中』は綺堂の代表作としてくりかえし上演され、谷崎潤一郎『お才と巳之介』は谷崎文学の隠れた傑作。このシリーズで面目を発揮しているのは谷崎の友人でもあった長田幹彦と近松秋江で、幹彦の『舞妓姿』や秋江の『舞鶴心中』などは大正時代の京都の描かれ方を知る上でも重要である。
 『情話新集』の収録作は、作品としてのまとまりに欠けると評されることもある。しかし当時の作者たちが重視したのは物語の一貫性よりもむしろ、表現の斬新さや一瞬の印象の描写方法だった。京・大阪を舞台にした作品も多いこの叢書は、上方を中心とした江戸以前の文学と、東京に中心を移した近代文学とが入り交じる場にもなっている。文学における「江戸趣味」とは、なつかしく、よく知っているように思える江戸時代を表現基盤として、新たな表現を切りひらこうとする動向だったのである。
 古い表現をつくりかえ、「物語」のありかたを変化させる日本文学の長い営みの中で、『情話新集』は小さいけれども忘れがたい本だ。このシリーズ帙付き(そろ)いを所蔵する公共機関は、日本で国文学研究資料館だけ。こればかりはぜひとも閲覧室で、手にとってご覧いただきたい本である。

(准教授 多田蔵人)

読売新聞多摩版2022年8月17日掲載記事より

ページトップ