『光源氏系図』
(ひかるげんじけいず)
現代社会では、小説・漫画・ドラマ・アニメ・映画など様々なメディアで、日々あらゆる「物語」が作られ続けている。近年はウェブメディアの台頭によって送り手と受け手との距離がずいぶん縮まったが、そこには依然として、作者の送り出した「物語」を、あまたの読者・視聴者が受け取るという構図が存在する。
一方、物語を広めるには文字通り筆を執るしかなかった千年の昔、受け手は同時に送り手でもあった。平安の宮廷社会という狭い空間の中、読者は受け取った物語を敷き写しにするに飽きたらず、自らの筆で文章を自由に書き換え、書き加え、時にはその作中世界と接続する別の物語を送り出した。時代の傑作である『源氏物語』とて例外ではない。五十四帖の完成された長編として今日知られるこの物語にも、かつては「桜人」「狭蓆」「法の師」といった、今はなき巻々が繋がっていたらしいことを、古くは鎌倉時代に遡る資料群が教える。
当館の所蔵する『光源氏系図』は、そうした資料の一つにあたる主要登場人物の系図だ。 歌人・二条為氏(1222-1286)の筆と伝わるこの系図は、例えば五十四帖には姿を見せない「巣守三位」なる女性を、次の解説とともに掲げている。「初め匂宮の寵愛を得たが、その華美な性格を不釣り合いに思い、薫の情けを受けて男子一人を成した。だがその後も匂宮に言い寄られた彼女は、人目を憚り大内山に身を潜めた」。かつて実在した「巣守」巻のあらすじとされるこの解説は、宇治十帖の男主人公ふたりが躍動するもうひとつの世界が、たしかに『源氏物語』の一部分として受け取られていたことを証明する。
著名作品の世界を拡げようとするその営みは、現代でいえば同人作者のそれを思わせようか。だが、原作者と同人作者が渾然一体となって、原作そのものが書き継がれてゆくような、現代では考えづらい奇妙な制作空間こそが、平安時代物語の特徴的背景としてあった。
(助教 岡田貴憲)
読売新聞多摩版2020年5月27日掲載記事より