大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2019/9/13

橋本本『源氏物語』

 事は8月の十五夜、時の皇后・藤原彰子(ふじわらのしょうし)の所望をうけ、石山寺で物語創作の願を夜通し立てていた紫式部は、琵琶湖に映る月影の澄んだ感懐に導かれるまま、大般若経(だいはんにゃきょう)の料紙に第12帖「須磨」巻から書き起こした――。平安文学の最高峰と称される『源氏物語』の誕生をめぐっては、いつの時代からか、そのような伝説がまことしやかに(ささや)かれてきた。

 伝説が芽生えた背景には、この緻密(ちみつ)な巨編が常人の(わざ)とは思えぬことへの畏敬に加えて、作者の自筆本はおろか、そこから遠からぬ平安中期の写本さえも、ごく早くに失われ始めていたという虚ろな現実があったと(おぼ)しい。まして物語の誕生から千年を隔てた現代の読者にとって、平安時代の『源氏物語』の形を知ることは、事実上不可能と言ってよい。

 しかし極めて幸運なことに、鎌倉時代の写本のいくつかは、7〜8世紀の長きにわたり幾度の災害・戦乱をくぐり抜け、その姿を現在まで(とど)めている。その一つに、当館の所蔵する橋本本(はしもとぼん)『源氏物語』がある。国語学者・橋本進吉(はしもとしんきち)(1882〜1945)の蔵書であり、平成16(2004)年に当館の所蔵となったこの写本は、全冊の形態・料紙が同一であることから、かつては54帖の揃いだったとみられるが、残存するのはわずかに4帖のみ。
 光源氏が後の伴侶となる若紫を見出だす第5帖「若紫」巻、冷泉帝の後宮(こうきゅう)で物語絵による勝負が繰り広げられる第17帖「絵合(えあわせ)」巻、光源氏が明石で儲けた娘を京へ迎えようと画策する第18帖「松風」巻、光源氏の養子・玉鬘(たまかづら)の宮中出仕をめぐる求婚者達の動揺を描く第30帖「藤袴(ふじばかま)」巻、以上がその内容だ。

 書写年代は鎌倉中期とされ、筆者は不明ながら藤原為家(ふじわらのためいえ)(1198〜1275)を宛てる説がある。当館で公開している全冊カラー画像からは、活字本にはない書写者の息づかいを容易に体感することができ、落丁や破損がみられる無骨とも言うべき容貌(ようぼう)は、この写本が生き残ってきたことの奇跡を私たちに知らしめる。

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国文研所蔵の橋本本『源氏物語』。残存するのはわずかに4帖のみ。
※新日本古典籍総合データベースにて全文をご覧いただけます。

(特任助教・岡田貴憲)


読売新聞多摩版2019年9月4日掲載記事より

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