橋本本『源氏物語』
事は8月の十五夜、時の皇后・藤原彰子の所望をうけ、石山寺で物語創作の願を夜通し立てていた紫式部は、琵琶湖に映る月影の澄んだ感懐に導かれるまま、大般若経の料紙に第12帖「須磨」巻から書き起こした――。平安文学の最高峰と称される『源氏物語』の誕生をめぐっては、いつの時代からか、そのような伝説がまことしやかに囁かれてきた。
伝説が芽生えた背景には、この緻密な巨編が常人の業とは思えぬことへの畏敬に加えて、作者の自筆本はおろか、そこから遠からぬ平安中期の写本さえも、ごく早くに失われ始めていたという虚ろな現実があったと思しい。まして物語の誕生から千年を隔てた現代の読者にとって、平安時代の『源氏物語』の形を知ることは、事実上不可能と言ってよい。
しかし極めて幸運なことに、鎌倉時代の写本のいくつかは、7〜8世紀の長きにわたり幾度の災害・戦乱をくぐり抜け、その姿を現在まで留めている。その一つに、当館の所蔵する橋本本『源氏物語』がある。国語学者・橋本進吉(1882〜1945)の蔵書であり、平成16(2004)年に当館の所蔵となったこの写本は、全冊の形態・料紙が同一であることから、かつては54帖の揃いだったとみられるが、残存するのはわずかに4帖のみ。
光源氏が後の伴侶となる若紫を見出だす第5帖「若紫」巻、冷泉帝の後宮で物語絵による勝負が繰り広げられる第17帖「絵合」巻、光源氏が明石で儲けた娘を京へ迎えようと画策する第18帖「松風」巻、光源氏の養子・玉鬘の宮中出仕をめぐる求婚者達の動揺を描く第30帖「藤袴」巻、以上がその内容だ。
書写年代は鎌倉中期とされ、筆者は不明ながら藤原為家(1198〜1275)を宛てる説がある。当館で公開している全冊カラー画像からは、活字本にはない書写者の息づかいを容易に体感することができ、落丁や破損がみられる無骨とも言うべき容貌は、この写本が生き残ってきたことの奇跡を私たちに知らしめる。
国文研所蔵の橋本本『源氏物語』。残存するのはわずかに4帖のみ。
※新日本古典籍総合データベースにて全文をご覧いただけます。
(特任助教・岡田貴憲)
読売新聞多摩版2019年9月4日掲載記事より