阿波国文庫本『蜻蛉日記』
平安時代、平仮名の普及に伴って興った物語文学・日記文学は、国風文化の粋として今日高く評価されている。しかし出版技術もなく著作権の概念もない当時、その多くは当座の娯楽として消費され、辛うじていまに残る作品群の大半は、後人による幾度もの転写を経ているのが実態だ。
中でも、とりわけ過酷な運命をたどったであろう作品に『蜻蛉日記』がある。当時、摂関政治の中心に君臨した藤原兼家を夫に持ちながら、側妻ゆえに夫婦愛に恵まれなかった藤原道綱母が書き留めたこの作品は、時代を代表する女流日記文学の傑作として名高いが、その写本はいずれも江戸時代を遡らず、本文は数え切れない傷に覆われている。道綱母の悲哀を朧気ながらも体感できるのは、数々の写本を見比べ、推測に基づく修復に心血を注いだ先人たちの努力のたまものに他ならない。
学界で善本として重んじられるのは宮内庁書陵部蔵の桂宮本だが、より本文の傷が少ない重要資料と目されているのが、当館の所蔵する阿波国文庫本『蜻蛉日記』だ。全3冊からなるこの写本は、佐渡出身で衆議院議員を2期務めた政治家・鵜飼郁次郎(1855〜1901年)によって明治期に収集され、2011年に当館へ寄贈された6000点近くにも及ぶ大規模コレクション「鵜飼文庫」の収蔵品の一つ。その来歴は、徳島藩主・蜂須賀家、そして江戸の国学者・屋代弘賢(1758〜1841年)の蔵書まで遡る。
※新日本古典籍総合データベースにて全文をご覧いただけます。
当館で公開している全冊カラー画像からも窺われるように、この写本には行間・字間に墨や朱による多数の注記が書き込まれており、そこには屋代と交流のあった横田袋翁(1749〜1835年)や、先達にあたる萩原宗固(1703〜1784年)の所説なども含まれる。本文自体の優位性もさることながら、彼ら国学者達による執念き解読の跡がみられる点にも、この写本の優れた価値が認められ、ひいては彼らを突き動かした『蜻蛉日記』そのものの魅力を再確認させてくれる。
(特任助教・岡田貴憲)
読売新聞多摩版2019年6月5日掲載記事より