寺院明細帳 東京府 (三)
冒頭の目次部分
国文学研究資料館には文部省(現在の文部科学省)から引き継がれた帳簿を多く所蔵している。そのうち「寺院明細帳」と称された帳簿は「収蔵歴史アーカイブズデータベース」で見ることができる。「寺院明細帳」は「神社明細帳」とともに、明治政府が明治12年(1879年)から各寺院・神社へ提出を求め、文部省と地方庁に備え付けられたものである。戦後、地方庁に設置された帳簿については図書館や博物館に移管されている場合が多い。
内容は各寺院について、宗派、住所、本尊、由緒、本堂や庫裏などの境内面積、什物・諸堂とそれに関する由緒、檀家数などが記されている。災害や戦災で現在は伝わっていない寺院の歴史を知る上で重要な資料といえよう。
館蔵の「寺院明細帳」は大正10年(1921年)から昭和4年(1929年)に作成された全148冊である。但し、欠帳も多く、すべての地域や寺院を網羅しているわけではない。現在の多摩地域に該当する西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡内の寺院は「寺院明細帳 東京府 (三)」に55か寺しか確認できない。この理由は、例えば北多摩郡千歳村大字烏山(現在の世田谷区北烏山)の真宗本願寺派萬福寺の場合、「大正十二年九月一日大震火災ノタメ焼失、昭和二年二月三日許可ヲ得テ京橋区築地三ノ一〇〇ヨリ移転」と記されているように、関東大震災による移転に伴い、文部省へ届け出たことがうかがえる。このように「寺院明細帳 東京府 (三)」は移転に際して提出した寺院のみを掲載した帳簿である。
一方で、災害の歴史の中で宗教施設の罹災や移転についての研究は案外乏しい。檀家、氏子、信者はもちろん、もともとの所在した地域からも離れてしまうことは大きな問題である。東日本大震災の沿岸部や原子力災害被災地などでも同様の状況は見られ、宗教施設移転の歴史性を考える上で重要な資料といえよう。
「大正十二年九月一日大震火災ノタメ焼失、昭和二年二月三日許可ヲ得テ京橋区築地三ノ一〇〇ヨリ移転」と記されている
(教授 西村慎太郎)
読売新聞多摩版2023年5月24日掲載記事より