狂歌百人一首
(きょうかひゃくにんいっしゅ)
「狂歌」というのは和歌のパロディー。和歌が優美を旨とするのに対して、狂歌は滑稽や諧謔を自在に詠み込む――との書き出しで、かの歌麿の多色摺り狂歌絵本『百千鳥狂歌合』を紹介したのは、2022年3月16日付の本連載であった。
今回は狂歌絵本ではなく、狂歌そのものの話。それも、狂歌が隆盛を極めた18世紀後半に「江戸狂歌」を牽引した四方赤良こと大田南畝(1749~1823年)にちなんだ書物を紹介する。
南畝は狂詩・狂歌を以て知られ、その卓越した機知と洒落が注目されがちだが、寛政の改革を機に戯作から身を退き、幕府の能吏として、後半生は漢詩・紀行・随筆類に傾斜した。厖大な量の書物を書写し収集した文人南畝の豊かな達成の解明は、南畝研究の要諦である。
さて、ここに紹介するのは、国文学研究資料館所蔵の『狂歌百人一首』(1843年刊)。原題簽の角書に「蜀山先生」、さらに見返しに「蜀山人」と謳われるものの(蜀山人は南畝の別号)、本書は浪華の蘆間蟹彦の編集にかかり、所収される作品の大半は南畝作とは見なし難いというのが定見だ(岩波書店版『大田南畝全集』第一巻、浜田義一郎「解説」)。
巻頭の三首を引いてみよう。
○秋の田のかりほの庵の歌がるたとりぞこなって雪は降つつ
○いかほどの洗濯なればかぐ山で衣ほすてふ持統天皇
○あし引の山鳥のおのしたりがほ人丸ばかり歌よみでなし
『百人一首』が庶民共有の教養になったればこその笑いであり、南畝の遺響にあやかった出版物として興味深い。
ちなみに、今年は南畝没後200年に当たる。それを記念した特別展「大田南畝の世界」が今、たばこと塩の博物館(墨田区)で開催されている(6月25日まで。月曜休館)。南畝を自在に追跡する極上の展示会であり、展示図録も秀逸。皆さんもこぞって展観に出掛けられたい。
(教授・副館長 神作研一)
読売新聞多摩版2023年5月17日掲載記事より