『武蔵国絵図』
(むさしのくにえず)
国文学研究資料館が所蔵している資料の中で、最も大きいレベルに該当するのが「武蔵国絵図」である。江戸幕府は正保年間(1644~1648年)を皮切りに、元禄年間(1688~1704年)と天保年間(1830~1844年)と、3回にわたって国絵図の作成を行っている。「武蔵国絵図」は武蔵国(現在の東京都・埼玉県及び神奈川県の一部)全域を描写したものだ。
5メートル×5メートルの巨大な絵図であり、最初の国絵図である正保国絵図の下絵と考えられている。1952年に文部省史料館(現在の国文学研究資料館の前身)が古書店から購入したが、それ以前の伝来は分かっていない。
この絵図の特徴は各村を楕円形で示し、道や川、山並みは明るい緑色に着色され、著名な寺社や徳川将軍の別邸である御殿・御茶屋が詳細に描かれている点だ。各村は村名とともに村高(村の生産力)が記されている。例えば、青梅町(現在の東京都青梅市の中心地)の場合、「五百二拾石余」と記されていて、米で換算すると年間520石余りの生産力であったことがうかがえる。
さて、「武蔵国絵図」には山川・寺社、そして村を示した楕円形が多く描かれているにもかかわらず、多摩地域の中で、一本の道以外、何も描かれていない空白地域がある。 その場所は現在の立川市の中心部であり、北側を東西に走る青梅街道以外、空白だ。青梅街道は江戸時代に青梅からの石灰を江戸に運ぶために造成されたもので、この絵図が描かれた江戸時代前半の立川は、まだ新田開発が途上であった。つまり、雑木林や荒涼とした萱野が広がっていたため、このような空白で表現されていたのである。
「武蔵国絵図」のレプリカを立川駅北口の多摩信用金庫「地域貢献スペース」に来年1月6日まで展示しているので、ぜひ自分の住んでいる地域を探してもらいたい。
(教授 西村慎太郎)
読売新聞多摩版2021年12月15日掲載記事より