大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2020/11/ 9

『多摩郡下師岡村の高札』

(たまぐんしももろおかむらのこうさつ)

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 国文学研究資料館といえば、文学作品や古い書物、古文書などだけを所蔵していると思われがちだが、博物館に展示されているような資料も数多く所蔵している。今回紹介する高札もそのひとつだ。高札とは、法令などを記した木の板で、人びとがよく見える場所に設置された。近世には主に村の有力者の家の前や寺社の前、(つじ)(交差点)、村の出入り口などに建てられた。
 今回の高札は、多摩郡下師岡村(現在の東京都青梅市師岡町・東青梅の一部)に明和7年(1770年)に設置された。その後、昭和14年(1939年)日本実業史博物館準備室で調査・整理し、戦後、文部省史料館(現在の国文学研究資料館)で所蔵することとなった。
 ここで日本実業史博物館についても触れておこう。渋沢栄一の孫である渋沢敬三(のちに日本銀行総裁や大蔵大臣を務めた実業家・民俗学者)が戦前・戦中に設立を推進した博物館であり、旧蔵資料の多くは下師岡村の高札と同様に、文部省史料館の所蔵となって現在に至っている。渋沢自身が蒐集(しゅうしゅう)した貴重な歴史資料が多く、詳細は国文学研究資料館の「電子資料館」のうち、「日本実業史博物館コレクションデータベース」を参照されたい。
 さて、内容は農民の徒党・強訴・逃散(ちょうさん)のような企てを役所に通報した者は、褒美として銀を与え、苗字(みょうじ)帯刀を許すといった内容になっている。当時、農民一揆が増加している時期に当たっており、幕府が農民の統制をもくろんだものであった。
 下師岡村の近辺でも、この高札が建てられる直前の宝暦12年(1762年)、領主である田安家(御三卿と称された徳川将軍家の一族)の過酷な農作物収奪の反対闘争をした19ヶ村の人びとが266名も入牢(にゅうろう)を命じられ、11名が牢死するという悲惨な事件が起きている(宝暦箱訴事件)。
 明和7年の徒党・強訴・逃散に関わる高札は全国的に多く(のこ)されているが、宝暦箱訴事件を目の当たりにしている下師岡村の人びとには憤懣(ふんまん)と震え上がるような恐怖、そして疑心暗鬼の心情が交錯する眼差(まなざ)しで、この一枚を眺めたことであろう。

(准教授 西村慎太郎) 


読売新聞多摩版2020年10月21日掲載記事より

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