『直下ケ調書』
新しい1万円札の肖像として発表された渋沢栄一が1931年に死去した後、遺言によって渋沢邸の敷地と建物が現在の渋沢栄一記念財団に寄贈され、日本実業史博物館を建設することが決議された。ところがこの計画は戦時経済統制の影響で頓挫した。国文研は幻に終わった日本実業史博物館が収集していた資料を所蔵している。その中から「直下ケ調書」という古文書について紹介しよう。
この古文書は天保13年(1842)6月に武州多摩郡下長淵村(現在の青梅市長淵)で作成されたもの。内容は同村内における販売価格、職人の賃金、質屋の利息など、どれくらい値下げしたかを書き上げている。例えば、木綿糸屋の与五右衛門という人物は2%の値下げを行っている。
日本実業史博物館コレクションデータベースにて部分画像をご覧いただけます。
では、なぜ値下げを行ったか。江戸時代後半、人びとは物価の高騰に悩まされていた。そこで江戸幕府は物価高騰の原因として商工業者たちの組合である「株仲間」が価格の釣り上げをしていると判断し、株仲間解散を指示した。
それでも物価が下がることはなかったため、様々な値段を一斉に引き下げることを命じた。「直下ケ調書」は下長淵村でどの程度値下げが進んだかを名主(現在の村役場職員)が調べ、代官・江川太郎左衛門へ提出した文書である。江川太郎左衛門とは福沢諭吉らを教え、西洋兵学を幕府に導入し、世界遺産に認定された韮山反射炉を建設した人物だ。
「直下ケ調書」の中に興味深い商人も載っている。「羽子板土人形売」の源助と長右衛門だ。ここに登場する土人形とは「雛土人形」と記載されていることから、現在の雛人形のことであり、その他、端午の節句で男児たちが腰に差した菖蒲刀も販売している。現在のおもちゃ屋だ。
しかも今回の値下げでは1割引きとなっており、もし値下げのことを知ったなら、子どもたちは親におねだりしたかもしれない。ただし、当時の人びとにとって、土人形は非常に高価なもので、値下げされても、多くの子どもたちはおもちゃを手にするどころか、見ることさえ困難だったかもしれない。
なお、当時の雛人形については当館の「新日本古典籍総合データベース」で書物や画像が検索できるのでぜひ探してみてもらいたい。
(准教授・西村慎太郎)
読売新聞多摩版2019年5月15日掲載記事より