大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2019/5/24

山鹿文庫『古戦短歌』(山鹿素行自筆本)

 「大化の改新ムシゴロシ」「ナクヨうぐいす平安京」「イイクニつくろう鎌倉幕府」。こういう年号の覚え方をした方も多いだろう。最近、鎌倉開幕は「イイハコ(1185年)つくろう」になっているということだが、ご存じだろうか。いずれも、語呂合わせと七五調の調子の良さで歴史的事項を覚えようとするもの。しかし、この覚え方は現代に始まったことではない。


1000iriguchi.jpg

 今回紹介する『古戦短歌(こせんたんか)』がまさにそういう書物なのだ。掲出部分の少し前から引用する。

「慶長元年丙申 三年八月十八日 太閤秀吉薨御也 関ヶ原ノ御合戦 慶長五年庚子 九月十五日也 城州伏見落城ハ 八月朔日二十三 濃州岐阜モ落城セリ」とあり、最後は「大坂初度ノ御発向 元和元年乙卯 五月七日ニ落城シテ 秀頼誅伏翌八日 是ヨリ天下イヤマシニ 千秋万歳万々サイ 目出度カリシ御代ゾカシ」と、徳川の御代を賛美して終わる。

「ケイチョウガンネンヒノトサル サンネンハチガツジュウハチニチ タイコウヒデヨシコウギョナリ セキガハラノゴカッセン ケイチョウゴネンカノエノネ......」と読み、七五調がベースになっていることがわかる。

 この書は、大永元年(1521年)の一条河原合戦という、武田信虎たけだのぶとら(1494~1574年、信玄の父)と福島正成ふくしままさなり(生没年未詳)との戦いに始まり、大坂落城による豊臣氏の滅亡(1615年)までの出来事を、合戦を中心に時代順に並べる。提出部分は、秀吉の死去から関ヶ原の合戦とその前後の戦いから、家康の江戸開幕などを描く部分である。

 著者は山鹿素行(やまがそこう)(1622~85年)で、自筆本である。素行は江戸前期を代表する軍学者であり、幕府が信奉する朱子学を批判したため、一時、赤穂の浅野藩に配流されたこともあった。

 国文研の山鹿文庫は、素行の自筆稿本や所持していた本などを含む1321点に及ぶ資料群で、うち59点は重要文化財に指定されている。素行の思想を知る一級の資料である。素行の子孫で代々平戸の松浦(まつら)家に仕えていた山鹿家から、2014年に寄贈されたものである。

 素行自身のためか、門弟の教育のためかは不明だが、元和偃武(げんなえんぶ)(大坂夏の陣の終わり)にいたる戦国末期の合戦を覚えるために著作したものであろう。大学者であった素行も、このように歴史の勉強をしていたことが分かれば、現代人にとってもぐっと近い存在に感じられるのではないだろうか。

(教授・入口敦志)


読売新聞多摩版2019年5月22日掲載記事より

ページトップ