大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2022/7/15

自讃歌かるた

(じさんかかるた)

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  『源氏物語』若紫巻で、憧れの人の面影を宿す姫君を自邸へ迎えた光源氏は、自ら美しい「手習(てならい)」(習字のお手本)を書き、姫君の教育に奮闘する。平安時代の貴族女性の必須教養は「習字、和歌、音楽と絵」であり、とりわけ習字と和歌の知識は連動して習得されるものであった。与えられた美しい筆跡のお手本(多くは『古今集(こきんしゅう)』などの和歌を散らし書きにしたもの)を前に、少女たちは習字に励み、また同時に優れた古歌のフレーズを記憶に刻み込んでいった。その知識は豊富であればあるほど、やがて自ら和歌を作る際、また他者との相互理解の際の大きな強みとなる。これは平安時代に限ったことではなく、あらゆる芸術作品の制作現場に共通する事柄でもあろう。
 さて教養としての古歌の知識の習得は、その後江戸時代に至り、新たな娯楽へと姿を変えていた。すなわち「(うた)がるた」の誕生である。今日、我々が「百人一首かるた」で遊びながら古典の世界に親しむのと同様に、当時の人々もまた「歌がるた」を用いて、有名な歌人や古歌に関する造詣(ぞうけい)を深めていたのである。
 当館にもそうした「歌がるた」が数多く所蔵されているが、特に今回は、書き込みの跡が著しい「自讃歌(じさんか)かるた」をご紹介する。
 『自讃歌』というのは『新古今集(しんこきんしゅう)』のダイジェストとも言えるもので、式子内親王(しょくしないしんのう)藤原定家(ふじわらのていか)西行(さいぎょう)などの歌人ごとに和歌が抜粋された歌集である。江戸時代までに注釈書も多く出され、和歌の入門書として重要な存在であったのだが、このかるたの持ち主は記憶にやや曖昧(あいまい)な点があり、上句(かみのく)下句(しものく)が容易に結びつかなかったと思われる。そのため遊ぶ際にも支障が出たのであろうか、みやびやかに描かれた上句の絵の隙間に、(しゅ)の筆で決然と下句を書き込んでしまっている。通常は札の裏に書いたり、さりげなく番号を振るなどの工夫もなされるところだが、何といさぎよいことであろうか。
 今はもういない人々の息づかいは、古典籍の中でなお、生々しい存在感を放ち続けている。

(准教授 中西 智子)

読売新聞多摩版2022年6月8日掲載記事より

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