『富樫』
(とがし)
幸若舞という芸能をご存じだろうか。15世紀から17世紀にかけて流行した鼓を伴奏に謡い舞う語り物芸能である。織田信長などの戦国武将らに愛好されて人気を博し、江戸時代には幕府の式楽とされた。しかし、大衆にとって縁遠い存在となった幸若舞は芸能としては衰退し、いまは福岡県みやま市に伝わる大頭流幸若舞(国指定重要無形民俗文化財)に当時の面影を留めるばかりである。
芸能としては能や狂言ほどに普及しなかった幸若舞だが、その語りが読み物となり絵入りの草紙「舞の本」として刊行されるとベストセラーとなり、これらの版本をもとにした色鮮やかな絵巻や絵入りの写本が次々と制作されるなど、江戸時代の書物文化に欠かせないジャンルとなった。幸若舞の演目には曽我物や平曲物など様々なジャンルがあるが、ここでは源義経を主人公とする判官物から国文学研究資料館碧洋臼田甚五郎文庫所蔵の『富樫』をとりあげてみよう。
都を追われた義経一行が山伏に姿を変えて加賀国安宅を通過しようとすると、当地の富樫が幕府の触れ状によって山伏禁制を敷き、道行く山伏たちを悉く斬首に処していた。弁慶は単独で富樫の城に乗り込み、執拗な追及を持ち前の巧みな弁舌でかわすが、疑いは晴れない。遂に自らを南都の勧進僧と偽り、忽然と現れた往来の巻物を勧進帳と偽り読み上げ、窮地を脱したのであった。図は弁慶が勧進帳を読み上げる場面である。市川家の歌舞伎十八番の一つ『勧進帳』の名場面として記憶する方が多いであろうが、その源流が幸若舞曲であると知る人はほとんどいないであろう。
『富樫』は現在絵巻に改装されているが、元は横型の絵入りの写本であった。挿絵には寛文(1661~73年)頃に刊行された版本からの影響が認められ、一見、特注品にみえる絵巻や絵入りの写本が、実は大量に流布した版本の挿絵をもとに制作された事実が浮かび上がる。とはいえ『富樫』の絵入りの写本は、ほかに海の見える杜美術館(広島県廿日市市)所蔵の寛文・延宝(1661~81年)頃成立の1点が知られるのみで、現存数は極めて少ない。
いまや忘れられた芸能となってしまった幸若舞だが、現存する演目には人間の愛憎、肉欲、富貴と没落といった、現代社会と響きあう人間模様が展開されている。日本の伝統芸能である歌舞伎・文楽の基礎を築いたジャンルといっても過言ではないだろう。
(特任助教・人文知コミュニケーター 粂汐里)
読売新聞多摩版2021年4月21日掲載記事より