『詩文』
(しぶん)
本書は、肥前鹿島藩(佐賀県鹿島市)第2代藩主鍋島直條(1655~1705年)に関わる詩文を集めて巻子本に仕立てたものである。
鹿島藩は佐賀鍋島藩の支藩の一つで、石高は2万石。直條とその孫直郷は特に学芸に熱心であった。その2人の収集した典籍を中心とした蔵書は、江戸時代の大名集書の典型を示す優良な文庫である。現在は、祐徳稲荷神社中川文庫として保管されており、国文学研究資料館でも長年調査を継続してきた。
本書には、林鳳岡・人見竹洞など幕府儒官である林家とその一門、梅嶺道雪・桂巌明幢などの黄檗僧、そして長崎の唐通事(通訳)何心声など、10人の詩文が収められている。直條の文学を通した多彩な交流を示しており、大名の文化的な活動を明らかにする貴重な資料である。
掲出したものは、黄檗僧格峰実外が直條に贈った七言律詩である。格峰実外は直條の実兄で、病弱であったため藩主後継の地位を弟に譲って出家した。文中に見える「楓園」とは、鹿島藩江戸藩邸にあった庭園の名であり、直條の別号でもあった。
本書はもう1点、多色摺りの詩箋が多用されていることでも注目される。詩箋とは、詩文を書くために用いる、花鳥などの模様が入った紙のこと。その伝統は現在でも、模様や図が印刷された便箋や一筆箋として受け継がれている。
掲出のものには、銀杏にとまった鳥が見える。他にも、蓮にコウノトリ、樹下に白象などの図がある。コウノトリと白象には「空摺」といって、色を用いず紙につけた凹凸だけで表現する高度な技法が用いられている。
17世紀末、まだ日本には多色刷りの技術はなく、これらの詩箋はすべて中国から輸入された貴重品であった。後に日本での木版多色摺りの浮世絵に多大な影響を与えたもので、絵画史研究でも注目されている。
(教授・副館長 入口敦志)
読売新聞多摩版2021年5月19日掲載記事より