大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2019/6/21

『業平涅槃図』

 近年新たに国文研へ収蔵されたものに「(てっ)(しん)(さい)文庫資料」がある。青年時代から伊勢物語を愛してやまなかった三和テッキ株式会社の元社長・故(あし)(ざわ)新二氏が、夫人の美佐子氏とともに半世紀の歳月をかけて収集した世界に類を見ない「伊勢物語」の一大コレクションだ。伊勢物語やその注釈書など、鎌倉時代まで遡る貴重な古写本をはじめ、関連する絵画、屏風(びょうぶ)、カルタなど、その総数は1000点に及ぶ。

 多種多彩なコレクションのなかで今回紹介したいのが、伊勢物語の主人公・在原業平ありわらのなりひらの死を釈迦の涅槃ねはんに見立てた肉筆浮世絵「業平涅槃図」である。江戸時代に流行した「変わり涅槃図」のひとつ。変わり涅槃図とは、法然や日蓮などの高僧や歌舞伎役者などの著名人を釈迦に置き換え、その死を嘆く人びとを周囲に描いた仏涅槃図のパロディーだ。
 通常の仏涅槃図では、釈迦の死を嘆いて男女を問わず多くの人や動物が集まるが、色好みの貴公子業平の場合、集まるのは女性ばかり。時代も身分もさまざまで、王朝風の姫君や当代の遊女、尼僧の姿も見え、動物までもメスなのである。
 かつて虎はオス、(ひょう)はメスと認識され、仏涅槃図では対で描かれたのに対し、ここでは豹のみを描き、メスであることを示す。つがいで描かれる鹿や鶴、鴛鴦おしどりも一羽しか描かれず、明らかにメスを描こうとしていることがわかる。

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 本図は「山崎氏女龍画印」の落款(らっかん)から、享保期(1716~36年)に活躍した女性の浮世絵師、山崎龍女(りゅうじょ)の筆と考えられる。付属の木箱に付された山東(さんとう)京伝(きょうでん)京山(きょうざん)の箱書によれば、この絵を享保期初めの作とする。構図や描写は、江戸中期の人気絵師、英一蝶(はなぶさいっちょう)筆「見立(みたて)業平涅槃図」(東京国立博物館蔵)と共通し、龍女はこれを直接参考にしたようである。一蝶の図像を反転させたり、女性や動物を増やしたりするなど、龍女独自の工夫も見える。

 江戸時代の浮世絵師たちも魅了された伊勢物語の世界。当館ホームページの「電子資料館」や「でじたる展示」で覗いてみませんか。

(准教授・恋田知子)

付記
2019年6月8日に芦澤美佐子氏がご逝去されました。
ご厚情に感謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。


読売新聞多摩版2019年6月19日掲載記事より

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