大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2022/2/22

『源氏大和絵鑑』

(げんじやまとえかがみ)

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 『八犬伝』で有名な曲亭馬琴(きょくていばきん)が享和2年(1802年)に江戸を出発して上方方面へ旅した時の記録『羇旅漫録(きりょまんきょく)』に、京の盆踊りについて次のような記事がある。
「街道の女児五、六才より十一、二才まで大ぜい手を引あひ、源氏目録の長うたなどうたひてあるくこと、江戸の盆々うたのごとし。」
 ここに記されている「源氏目録の長うた」とは一体どのようなものだったのだろうか。「目録」とは目次、つまり『源氏物語』の巻名を織り込んだ歌というわけだが、これには複数の存在が知られている。 そのいずれかを特定するのは先の記述のみからは難しいが、可能性として最も高いのは室町末期頃に成立したとされる「源氏文字鎖(げんじもじくさり)」と考えられる。 具体的には「源氏のすぐれてやさしき〈は〉 はかなくきえし桐壺〈よ〉 よそにて見えし帚木(ははきぎ)〈は〉 我から音になく空蝉(うつせみ)や......」と鎖状につづく、いわばしりとり歌。伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』(東京堂出版、2001年)で、「もっとも流布した、標準的な源氏物語の巻名を詠み込んだ長歌」といわれるように、江戸時代ある程度普及していたようた。
 一例をあげると、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の絵本『源氏大和絵鑑』(貞享2年、1685年刊)の各丁、絵の上部にこの歌が掲出されている。これは板本では比較的古い例かと思われるが、枠外の落書きが手習いの跡のようにも見え面白い。19世紀に入ると、当時の教科書ともいえる往来物にしばしば掲載されていることからもその普及の度合いが推し量られる。おそらく節が付いていたと思われるが、それが分からないのが残念である。ともあれ、源氏巻名のしりとり歌が当時の生活の中に息づいており、年中行事の中にまで取り込まれていた可能性のあることはたしかである。
 ちなみに、この「源氏文字鎖」の作者として三条西実隆(さねたか)や後光明院などと記されているものが多いのだが、もとより伝承に過ぎない。とはいえ、「いろは歌」が空海、「歌字尽(うたじづくし)」が小野篁(おののたかむら)に仮託されるなどと同様、学問に秀でた人の名があがる点でも共通していて興味をかき立てる。

(准教授 木越俊介) 


読売新聞多摩版2022年1月26日掲載記事より

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