大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2023/4/ 5

飛鳥山十二景詩歌

(あすかやまじゅうにけいしか)

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 いよいよ満開。桜たちは今年も美しい花を見せてくれている。不惑を迎えた頃から、桜に憧れて(誘われて)、各地の桜を訪ねる〈旅〉を続けている。吉野、醍醐(だいご)、大阪造幣局の通り抜け、岐阜根尾(ねお)薄墨桜(うすずみざくら)、山梨山高の神代桜(じんだいざくら)、福島三春の滝桜等々、それはそれは見事だった。「福禄寿泰山府君普賢象(ふくろくじゆたいざんふくんふげんぞう)たれもこの世の春謳歌(おうか)せり」(大阪造幣局にて、父光一(こういち)と/2005年)などと詠じたことも懐かしい。
 ココ立川も、国営昭和記念公園をはじめとして市内のアチコチで桜が楽しめて(うれ)しいが、いま紹介するのは飛鳥山(あすかやま)(北区王子)の話である。
 飛鳥山は、明治6年(1873年)の太政官布告(だじようかんふこく)によって上野、芝などとともに日本初の「公園」に指定された。今も都内有数の桜の名所として名高いが、そもそもソコが桜の名所になったのは、江戸時代中期の享保11、12年(1726、27年)頃に、将軍徳川吉宗が飛鳥山に浜御殿などから桜樹千株を移植したことに始まる。これを()けて、大学頭(だいがくのかみ)信充(のぶみつ)榴岡(りゆうこう))は「十二景」を設けて漢詩を()し、さらに芥川寸草(すんそう)ら江戸堂上派(とうしようは)の武家歌人たちは和歌を詠じて、金輪寺(きんりんじ)に奉納した。この営為は、江戸の地の武家歌人たちによる名所和歌の催しとして注目すべき雅事(がじ)であった。
 この作品には2種が知られており、ここに掲出したのは幕末の安政5年(1858年)に刊行された『飛鳥山十二景詩歌』。金輪寺12世宥秘(ゆうひ)による編集で、新たに鈴木鵞湖(がこ)による多色摺(たしよくず)り淡彩画を添えた瀟洒(しょうしゃ)な一冊だ。
 右の題は「平塚落雁(ひらつかのらくがん)」(「平塚」は現在の田端・西ヶ原辺りの地域)。左の題は「鵠台秋月(こうのだいのしゆうげつ)」。現千葉県市川市国府台を望む遠景である。江戸冷泉門(れいぜいもん)の中心人物であった成島信遍(のぶゆき)道筑(どうちく))が詠じた和歌は「晴るる夜の真間(まま)の入江に汐満ちて月さしのぼる岡のベの松」。『万葉集』の手児奈入水(てこなじゆすい)伝説を織り込んで、叙景に物語性を付与したところが秀逸である。
 なお多色摺りの美しい挿絵は、国文研ホームページと読売新聞オンラインに再掲される本記事のカラー画像で味わっていただきたい。

(教授・副館長 神作研一)


読売新聞多摩版2023年3月29日掲載記事より

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