としなみ草
(としなみぐさ)
春はあけぼの。馥郁たる梅の香りに誘われて、そぞろ散策(プチトリップ)をしたくなってきた。
昨秋、五島美術館(東京都世田谷区)で開催された「西行 語り継がれる漂泊の歌詠み」展は、西行の時代・筆跡・伝承を丁寧に辿った迫力溢れる内容で、筆者には特に、「白峰」(上田秋成『雨月物語』)など江戸時代の諸作品への目配りが嬉しかった。西行の遺響の重層性を改めて認識できたからである。
その驥尾に付して、ここでは、江戸時代に「今西行」と呼ばれたひとりの歌僧を紹介する。
そもそも「今◯◯」なる呼称は、「今」を接頭語的に使う用法で、今の人を昔の著名人に擬えて「あたかも、かの◯◯のようだ」と表現するもの。「◯◯」が高名であれば良いというわけでもなく、人物像に関するある種の価値観の共有(文化史的享受)が広くなされている場合にのみ使用されるものらしい。例えば「今小町」や「今業平」などの語がただちに思い浮かぶが、逆に「今俊成」や「今実朝」などの語は見出し難い。
さて、似雲(1673~1753年)は安芸広島の人。上京して香川宣阿に、ついで公家の武者小路実陰に就学して歌道に精進し、世人から「今西行」と称された。当の本人も「西行に姿ばかりは似たれども心は雪と墨染の袖」と嘯いたと伝えられる。その最大の功績は、石山寺の救世菩薩のお告げによって、それまで不明だった西行の墓所を河内の弘川寺(大阪府南河内郡)に発見したことだ(伴蒿蹊『近世畸人伝』)。この神がかり的な彼のふるまいは家集『としなみ草』(自筆本は弘川寺蔵。約4500首所収)に書き留められており、私たちは西行に執着した彼の生涯をつぶさに追跡することができる。
ここに掲出したのは国文研新収の『としなみ草』(20巻4冊)。似雲没後30年ほどを経た天明3年(1783年)の写本だが、巻首に押捺された蔵書印によって、ほかならぬ似雲の研究者であった秋末一郎(1917~2010年。国学院大学名誉教授)の旧蔵書であったことが知られて感慨深い。
(教授・副館長 神作研一)
読売新聞多摩版2023年3月8日掲載記事より