大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2019/12/25

丹緑本『曾我物語』

(たんろくぼん そがものがたり)

 ここに紹介するのは丹緑本たんろくぼんの『曾我そが物語』である。
 『曾我物語』というのは、鎌倉初期の武士曾我兄弟(祐成すけなり時致ときむね)が父親のかたきである工藤祐経すけつねを討った敵討ちを題材とした軍記物語で、古態こたいとどめる真名本まなぼんの成立は南北朝頃(14世紀)かといわれる。いわゆる「曾我物」として、謡曲・幸若舞こうわかまい・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵のほか、長きにわたって広く深く享受された。
 さて、丹緑本とは、江戸初期、寛永から万治(1624~61年)頃にかけて刊行された版本(上方版かみがたばん)の挿絵に、たん(オレンジ色)・緑青ろくしよう・黄の3色を刷毛はけでささっと引いて着色したもの。
 江戸後期の戯作者げさくしゃ柳亭種彦りゅうていたねひこの考証随筆『用捨箱ようしゃばこ』(1841刊)に、「昔ゑどり本ととなへし物の麁悪そあくなるにて、丹・緑青を筆まかせに彩色ともなく点じて、もっとも古雅なり」と記されるように、かつては「絵どり本」と呼称された、古雅なる風情をまとった好もしい書物だ。
 着色の主は版元はんもとおぼしく、出版物でありながらソコに写本(具体的には彩色の絵巻や奈良絵本が想定される)の風合いをしのばせようとした、その精神性が注意される。いみじくも種彦が指摘しているように、刷毛で「筆まかせに」引くことが肝要であり、それゆえに醸し出される古拙の風が何とも言えぬ味わいを有している。丹緑本の本格的な研究はまだこれからといったところで、その定義や確実な書目の全容、さらには着色の精神性の解明等々、課題も多い。
 なお、丹緑本は今も時折古書市場に高価な値段で出現するが、「筆まかせ」どころかべったり小学生の塗り絵よろしく着色している事例もまま見出されるのは、江戸後期、まさに種彦の時代になって(江戸初期の)「丹緑本」と見せかけるために、版元あるいは時の所蔵者が故意に着色したものも多く含まれているからなのであろう。
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     (教授・研究主幹 神作かんさく研一)


読売新聞多摩版2019年12月4日掲載記事より

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