『解体新書』
(かいたいしんしょ)
近代のさまざまな達成と引き換えに、私たちが失ってきたものも多い。例えば「身体性」。漱石の『こころ』は、なぜ「からだ」ではないのか――。文学や古典の研究においても、従来は「何が、どのように書かれてあるか」の解明に必死で、それが書かれているモノ(本や雑誌そのもの)への関心は相対的に低かったように思われる。
特に江戸時代の場合は、人間だけでなく書物にも〈身分〉があった。例えば本の大きさ(書型)。漢詩文や和歌などの伝統的な雅文学は大本(縦27センチ前後)で出版されることが多いのに対して、新興の俗文学である黄表紙や洒落本はそれぞれ中本(縦18センチ前後)や小本(縦15センチ前後)で出版された。書型は中身を厳然と規定していたのである。あるいは表記や装訂も、深く中身と関わっていた。
「昔の人の学問と云ふものは「今」を知ることではなくて、「過去」を知ることだった」とは谷崎潤一郎の言だが(「直木君の歴史小説について」『摂陽随筆』1935年5月)、近年はいっそう「役に立つかどうか」というモノサシのみが重視されており、古典の軽視が甚だしい。
しかしながら、すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなるのであり、過去の叡智を結集した古典こそ、混迷を深める現代を生き抜くための指針にほかならない。江戸時代に杉田玄白らが刊行した『解体新書』を挙げるまでもなく、古典は文学だけでなくすべての領域に存在するのであり、世界は書物の中にあったのだ。


教科書でおなじみの『解体新書』(1774刊)
国文学研究資料館では2019年10月15日から、企画展示「本のかたち 本のこころ」が始まった。古典籍の「かたち」を感受しながら、そこに込められた著者・製作者の「こころ」に思いを馳せていただく、ちょっと風変わりな展示である。壮麗な絵巻やいぶし銀の絵入り刊本、あるいは他に伝存しない「一本書」や教科書でなじみのある古典籍たちが、皆さまをそっとお待ちしている。企画展示は12月14日までで入場無料。原本の持つホンモノのちからを身体深くに留め置いて欲しい。
(教授・研究主幹 神作研一)
★企画展示「本のかたち 本のこころ」会期は2019年12月14日まで。休室日は日曜・祝日・11月13日。10時から16時30分(入室は16時まで)。詳細はこちら。
読売新聞多摩版2019年10月16日掲載記事より