『石山寺縁起』
(いしやまでらえんぎ)
イギリスの女性作家ヴァージニア・ウルフ(1882~1941年)は、ケンブリッジの女子学生に向けた講演「女性と小説」の中で、「女性が創作をするためには、年に500ポンドの収入と鍵のかかる部屋が必要である」と述べている。これは執筆を支える経済的自立と、精神的自立のためのひとりの空間が必要だという意味である。
しかし、我々は自分が書いた物語さえ持ち出されてしまうような部屋で書いていた平安時代の女性、紫式部を思い出す。ウルフ自身はアーサー・ウェイリーも属したブルームズベリーグループの一員であり、彼の英訳『源氏物語』を読んでいる。1925年に雑誌に寄稿した英訳版への書評では、中世の幸福な時代を生きた女性作家として紫式部を讃えている。
ただし現実の紫式部が、静寂な空間でひとり机に向かい、物語を執筆したという保証はどこにもない。むしろ『紫式部日記』からうかがわれるのは、狭い空間に人々が入り乱れるなかで、現代からみればプライバシーもほとんどないような場所で、彼女が書き続けていたことである。では、ひとりでいる紫式部像は、いつ誕生したのか。
静寂な執筆空間のなかの紫式部というイメージは、『石山寺縁起絵巻』に描かれている。藤原彰子から読んだことがない物語を求められた紫式部は、石山寺に7日間籠もり、湖に浮かぶ月影を見て心を澄まし、『源氏物語』を起筆した、という伝説である。国文学研究資料館ではこの絵巻全7巻の5巻までの詞書を転写した写本『石山寺縁起』を所蔵する。
「当寺に七ヶ日籠もり侍りけるに、水うみの方遙々と見渡されて、心澄みて様々の風情眼に遮り、心に浮かみけるを、とりあへぬ程にて料紙などの用意も無かりければ、大般若の料紙の内陣にありけるを、心の中に本尊に申し受けて、思ひあへぬ風情を書き続けける」。その後、紫式部は観音の化身と申し伝えられたとつづく。
中世には同物語の享受は宗教と深く結びついてゆく。仏身と交感して物語を書いたのだと信じられた作者は、都を離れた静寂な空間に創造され、その紫式部像が一般的に想像された。この『源氏物語』石山寺起筆説の初出を辿ると、鎌倉時代に娘に宛てて『源氏物語』を読みなさいと諭した阿仏尼は「むらさきしきぶが石山の波にうかべるかげをみて」と手紙に書いており、既に伝説が流布していたことを伝えている。
(機関研究員 幾浦裕之)
読売新聞多摩版2021年4月7日掲載記事より