大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

「国文研 千年の旅」読売新聞多摩版 連載より

2021/3/25

『十六夜物語』

(いざよいものがたり)

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 東下りをした在原業平は、現実には東海道を下っていない、という説が中世には存在する。ある注釈書では、東下りというのは京都の東山へ隠棲(いんせい)したことの比喩であると説明される。一方で中世以降、京と鎌倉の往来が増え、「かの昔男」の訪ねた名所旧跡を通過する者は、「これがあの『伊勢物語』の!」と「聖地巡礼」をするように感慨にひたった。弘安2年(1279年)10月16日、京都を出発して2週間後に鎌倉に到着した阿仏尼もその一人。彼女は道中書き留めたメモをもとに、紀行『十六夜日記』を著した。現在の静岡県駿河区宇津ノ谷を通った際は『伊勢物語』のように知り合いの山伏に遭遇した。その偶然を「むかしをわざとまねびたらんこゝちして、いとめづらかに、をかしくもあはれにもやさしくもおぼゆ」と驚いている。自らが業平になりかわるような思いであったに違いない。
 阿仏尼の鎌倉下向の目的は、夫の藤原為家の没後に起こった所領争いを解決するため、幕府の武家法の裁断をうけるためであった。当初は早期の決着を予想したらしいが、裁判が阿仏尼の息子・冷泉為相の勝訴となったのは、阿仏尼の没後30年のことであった。
 『十六夜日記』には裁判のゆくえは描かれず、彼女が東海道で実際に眺めた数々の風景と、実感のこもった和歌が記される。中世和歌の中心は「題詠」であり、先行する和歌や歌題の「本意」に(のっと)って、虚構の作者(アバターのようなもの)の心情や景色を詠むものであった。そんな時代に、歌枕を現実に観光することができた阿仏尼は、彼女だけの「風景」を発見したのである。
 国文学研究資料館は『十六夜日記』の絵入り写本『十六夜物語』を所蔵する。江戸時代に製作されたもので、本文は流布本である万治2年(1659年)の木版本に近く、挿絵もややそれに類似する。そして奈良絵本風の繊細な挿絵をよく見ると、描かれる人々は近世の服装をしている。鎌倉時代の紀行を、読者になじみやすく江戸時代にうつしかえているのである。
 この写本は昭和14年に古典文学研究者の小川寿一によって修理されており、小川は装訂(そうてい)や金泥の下絵といった特徴から本書は「嫁入り本」(婚姻の際に製作された豪華本)と考察している。時代ごとに、読者と目的に合わせて、古典は装いを新たに読み継がれる。

(機関研究員 幾浦裕之) 


読売新聞多摩版2021年2月17日掲載記事より

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