『和漢朗詠集』
(わかんろうえいしゅう)
平安貴族社会では当意即妙な詩歌の吟誦が風雅なこととして好まれていた。 その場にふさわしい名句を口ずさみ、周りの人々を賛嘆させた人物の話は数知れず、物語の世界でも風雅を解する登場人物ならば、自らの感興を詩歌に託して吟ずる描写が付き物である。
このような平安時代の風潮と相まって、成立当初から人気を博した書物が『和漢朗詠集』である。 本書は、漢詩・和歌・管弦いずれにも優れ「三船の才」で知られる藤原公任(966~1041年)が、朗詠(声高く読み上げること)に足る詩歌を分類して採録した選集だが、和歌と日中の漢詩文の秀句を共に集めたのは、それまでにない新しい編さん方式であった。
現存する平安期の写本の多さからもうかがわれるその人気のほどは、時代が下っても衰えることなく、幼学書や習字の手本など、ニーズに応じた様々なタイプの写本が鎌倉・室町期に盛んに生み出され、江戸時代には多くの版本が幕末まで幾度も出版された。
当館も多種の伝本を蔵しているが、ここに紹介するのは嘉元3年(1305年)3月の写本である。奥書に「菅三品在兼」という署名があり、本巻が菅原在兼(1249~1321年)の手になるものであることが知られる。 在兼は、正安4年(1302年)正月5日に従三位に叙され、公卿に列した当代屈指の漢学者。 由緒ある博士家の出で、伏見天皇から後醍醐天皇の5代にわたり、天皇に学問を教授する侍読を務め、文章家として名を馳せたが、作品はほとんど伝わらない。 その意味で、在兼が自ら書写し詳細な訓点を施している本巻は、彼の深い学識が垣間見られる貴重な資料なのである。
ところで在兼が奥書で「菅三品」と自称しているのは興味深い。「菅三品」といえば、平安朝文人のうち『和漢朗詠集』最多入集数を誇る菅原文時(899~981年)の通称で、同集でも文時を指す作者名として使われているからである。 その呼称のとおり文時が到達した最高の位、極位は従三位。書写時に同じ位にあったことにちなんで、在兼は祖先の通り名を用いたのだろう。 その署名からは、栄えある儒門(儒学者の一族)の伝統を継ぐ者としての自負が伝わってくるようである。
(機関研究員 具惠珠)
読売新聞多摩版2021年11月10日掲載記事より