ひらめきで生きていく
人が好き、言葉が好き
返り点なしで漢詩を読む、くずし字の日本語を読む
関西弁も共通語も使いこなす それがクリス先生
プロフィール
僕の祖父は鍛冶屋でした。父はバスの運転手、母は美容師です。僕の家族は、みんな学問は嫌い。先祖から農家でした。僕の家には最初の頃はテレビもラジオもなかった。今も僕の家にテレビはありません。十何年もテレビは観ていないですね、テレビは嫌いです。今の家にはラジオもなくて本ばかりです。日本人の妻と子どもがいますが、家の中は静かですよ。カナダの家は大平原にありましたから、大学を卒業してバンクーバーに行って、初めて山というものを見ました。びっくりしました。山という言葉は知っていましたし、絵も見たことはありましたが、実物は初めてでした。僕は若い時に木工をやっていたので、木で何かを作るのが好きです。本棚や机、娘のおもちゃは全部僕が作っています。木はいいですよ、生き物ですから。この鉄瓶、鉄もね、半ば生き物ですから、これもいいでしょう?長火鉢を買いましたよ。五徳を入れてね、炭で火を起こし鉄瓶でお湯を沸かして、それでお茶を飲めばよけい美味しくなるよ。
実家からバスで三十分くらいのところに中華街があって、中国人、厳密には香港人がたくさんいました。同級生も半分くらいは中国人でしたね。僕はそこでカンフーにはまってしまった。カンフーのおかげで中国語が勝手に身について、中学生の頃から英語と同じように、普通に読んでしゃべっていました。でも中国には一度も行ったことがありません。あまりにも中国語が上手すぎ、スパイだと疑われたこともあった。二十二歳くらいで日本に来て、熊本の田舎町で二年くらい英語の先生をやって、日本の文学を勉強しよう、どこかの大学院に入ろうと、大阪の堺市に引っ越したんです。どうして堺市か、わかりません。今も理由はわかりませんが、そこに行けば何かあるというひらめきです。そこで日本人の塾で漢文を教えながら(笑)、もちろん英語も教えましたが、京大の大学院に進み、この京都で妻と出会いました。
これが娘の写真です。かわいいでしょ?本当にかわいくて、家にいてずっと見ていたいです。僕の中には八歳の子どもと八十歳の老人の二人がいると妻が言います。その間はない。だから「子どもっぽい」と言われるのがとても好きです。遊ぶのはものすごく上手ですから、娘といくらでも遊べます。奥さんの写真ですか?それは心の中に飾ってあります。
言語
妻と僕はお互いのおかげで日本語も英語もうまくなりました。娘には一日おきに日本語と英語で話しています。初めて日本に来た時は、日本語はまったくできませんでした。漢字は読めましたが、日本語はできなかった。でも話が通じないとつまらないでしょう。それで夜中にお墓へ行ってね、墓石を指でなぞって、なんて書いてあるのだろう、日本人はどういう風に漢字を使っているのだろうと、自分でいろいろ研究しました。昼間だと人が見るので怪しまれる。当然、夜に見られたらもっと怪しいのだけれど(笑)、田舎の夜は誰もいません。幽霊は怖くないですよ。無神論だから関係ない。幽霊が来ても面白いしね、話してみたい。来ているのに気が付かないと言うなら、それは来ないのと同じですよね。来るなら知らせてくれないと不親切でしょ。
言葉を覚えるのが大変って言われますが、少なくとも漢字は苦労ではなかった。他の人にとっては苦労かもしれませんが、僕には趣味ですからとても楽しい。今は毎朝、駅まで行くのにペルシャ人と待ち合わせして通っています。ペルシャ人の彼に僕が英語を教えて、代わりに彼は僕にペルシャ語を教えてくれます。僕には言語に関する嫌悪感がまったくない。言葉は頭に残ります。文法書なんて一冊も読まないです。人間の口から出てくる言語ならなんでも大歓迎。人が好きなので、人と触れ合って言葉を覚えてしまいます。
ある専門的な本を読んでいましたら、大人になると言語を司る脳の部分がどうしても硬くなってしまうそうです。が、ごく稀に、少数ではあるけれども、脳のその部分が子供のままでいる人がいるそうです。僕はどうもその少数に入っているようです。子供が言葉を覚えるように、どんな言葉でも自然に身についてしまう。その代わり、他に犠牲になる脳の部分があるわけです。僕は、数字はまったくだめです。歴史も混乱してしまって覚えられない。学問がきらいでしたが、童話が好きでした。毎晩物語を読んで、僕が母に文学をやりたいと言ったら「どうぞ、やりなさい」と。幸せであればよいと言ってくれましたね。
でも僕には罪悪感が募るのです。自分の好きな本を読んで、それについて論文を書いてお金をもらうなんて、変な社会ですよ。治療もしていない、人を守ってもいない、橋も作っていない、それなのにお金をもらうなんて社会的にはおかしいでしょ。一方、精神的にみるとすごく貢献が大きいと思います。そう言わないと自分の存在を否定することになります。でも、本当はやっぱり恥ずかしいです。本当に僕がやりたいのは、僕の先祖のように農業をしながら暇な時間に本を読むこと。実現したいですよね。
国文研でやっていること
今、国際化、国際化というので、そういう意味で必要とされているのではないかなと思います。何カ国語も話せるので便利ですよね。ペルシャ語でパソコンのことを「ラヤネエ」というのですが、その意味は「便利な道具」です。で、僕も「ラヤネエ」かな、国文研の。今までは漢文、漢詩が専門ということで来ていますが、日本文学ならなんでも好きです。くずし字はきらいですが、読めてしまいます。今、十八世紀と十九世紀の類書、百科事典ですね、それを調べて日本と中国との関係を研究しています。例えば、僕は天狗が好きです。これは明の時代の天狗の絵です。「天狗は狗だったのか?」とは、いい質問ですね。それが肝心なところですよ。天狗は狗なのか、天狗とは何か。日本の天狗は人間の姿に似ています。羽が生えていて、言ってみれば鳥でしょう。中国には鳥と狗、というより狐っぽい姿の両方があったのです。日本にも最初は両方あったのに、では現代においては、なぜ狗の姿は消えてしまったのか。そういうことを研究しています。中国の「山海経」を見て、天狗のようなものがあるかどうか。天狗の話が出てくるのですよ。「ここにけだものあり、てんぐといわく」とかね。そういうものを時代に沿って辿っていく。こうして絵を見せながら語ったら変化がわかりやすいでしょう。関係する論文も集めます。日本語はもちろん、英語の論文、中国語の論文。三つ言語ができるから助かるのです。同じ類書をみても、違う言語世界からみると違う見方が出てきますから。
ひらめき
僕は面白い人?そうですか(笑)。あなたも相当面白い(笑)。これは褒め言葉。幸せそうな顔をしていますね。見ているだけで気持ちいいですよ。僕は面白い?面白いかな。そうかもしれないね。無神論のくせに直観で生きている。日本がなぜ好きかとかなぜ大阪にいたかとか、僕には全然わかりません。全部直観があって、「じゃ、やろうか」と。なんでもそうです。
日本に来て熊本県の宇城市(旧小川町)に住んだ。その後京都で今の妻と出会いましたが、一週間半交際して求婚しました。僕は時間がもったいないと思った。直観でこの人だとわかっていたからです。「はい!」と返事をもらって「、よし!」と思いましたね。その後、妻のご両親は熊本出身だとわかり、僕たちの結婚のお披露目はお義父さんの弟さんのやっているお店でと言われたところ、それは僕がよく知っている店で、披露宴の給仕をしてくれた女性たちは全部僕の教え子たちでしたよ。まったくの偶然ですが、不思議でしょう?
無神論者ですが、ユングが大好きですね。ご存知ですか?カール・グスタフ・ユング。フロイトよりユングが好き。ユングっぽく言えば、運命とか直観という言葉を使わなくていい。無意識の世界です。無意識の世界は意識できないものです。だから、無意識の世界と言う。意識している世界と無意識の世界がありますよね。意識している時は、無意識の世界が何をやっているかわからない。それがなぜか、意識の世界に「ひらめき」として上がってきて、「ああ、この女性はいい人だ、結婚しよう」とか、「日本文学をやろう」「大阪の堺市に行こう」とか。それを直観と言っていますが、無意識の世界ではわかっていることですね。ただ、我々は意識の世界ではそれを探ることはできない。無神論とは矛盾していない気がします。ひらめきで生きている。でも実感があるものだから否定できないです。
クリストファー・リーブズ氏
カナダ マニトパ州ウィニペグ市出身。マニトバ州立大学で英米文学の学士取得。教育学部の学士も取得し、ウィニペグで高校の先生を半年経験したが、自分には興味のない仕事だと気付き日本へ。京都大学 大学院で国文学の修士を取得。その後、カナダのアルバータ州立大学で日本文学の修士を取得、さらに米国のコロンビア大学で日本文学の修士を取得して、現在同大学の大学院博士課程を修了、博士論文執筆中。二〇一六年四月より、国文研助教。髭は新しい家伝をつくるため伸ばしている。地面に着くようになっても伸ばし続ける。国文研の面接のために一度剃ったが、実年齢の三十五歳よりずっと若く見えてしまい気にいらなかったそうだ。
「えくてびあん」2016年10月掲載記事より
※役職は掲載当時のものです。