「読書空間」読み手側からの文学研究
文学研究は内面を深く読むことだけではなかった。
出版物の流通、図書館の設立を通して、人の心が見えてくる。
──毎回とても面白いのですが、今日はどんなお話でしょう?
谷川 六年かけてみんなで研究してきたものがここで終わって、その研究についてお話するのがいいかと思います。弘前の話なんですけれどね。明治二十年を境にそれ以前と以後に本の流通の変化が見られる。文学の研究というものは従来作家中心だった。作家が何を考えていたのかとかどういう状況でこういったことが書かれたのかとか。そういったアプローチではなく、読み手を主体にした方向性で研究してみたわけです。本がどんな風に流通していて、読み手側がどんな風に本を読んでいたか。
──古典ではないんですね。
谷川 そうですね。国文研はもともと古典、江戸以前のものを扱うのですが、立川に移転する前に近代の部門ができました。
──前回は京都弁でしたが(笑)、先生はどちらのご出身なんですか?
谷川 岐阜の出身で、大学は京都。最初に就職したのが高知でそこに十二年いました。そして国文研ですね。関東大震災前あたりまでのものが専門です。
──先生は標準語でお話しなさるんですね。
谷川 ずっとこの言葉ですねぇ。土佐弁でもしゃべらなかったなぁ。京都弁も。
──では先ほどの、弘前とおっしゃいましたが、具体的にはどのような......。
谷川 弘前の青年たちが図書館を作る、その前身のような読書サークルをしていたということですね。全国の図書館、文庫も含めて、訪ねて調査しました。撮影したりしながら調べてみると、その中に意外に明治時代からの本が残っていて、いくつか読書サークル的な簡易図書館を自分たちで作っている。そのひとつに弘前市立図書館の前身があり、よく調べてみると青年たちの読書サークルから始まっているんです。その克明な記録があって、いまだに百年以上前の本が大量に残っていて、図書館の母体をなしている。「自他楽会」と言いますが、ちょっとふざけたような名前をつけて。
──自堕落だと言われるまで本をよみふける会、のような説明がありますね。どんな青年たちだったんでしょう?
谷川 ほとんどが教師です。石川啄木も代用教員でしたよね。明治の新政府側にあった地域の青年は、東京へ東京へと出てきて立身出世を考える。そうでない地域の青年は、小学校の先生などしながら地元に残った者が多くいた。そして、地元に残りながら、東京を中心に大量に出版されるようになった本を手に入れて読もうとするわけです。当時の印刷は活字を組む。印刷するとその版はバラしてしまう。売れればまた版を組めばいいんで、売れないものはバラされてしまう。ですから少し刷って、それきりもう印刷されないものもたくさんあった。桜の木を彫って印刷していた頃は本の寿命が比較的長いのですが、明治の活字出版物は一度刷ってそれきりというものもたくさんあるんです。
──じゃあ、誰も知らないような、今の世の中には残されていない出版物もたくさんあったということですか?
谷川 あります。国会図書館ならなんでもあるだろう、往々にしてそう思いがちですが、違うんです。ないものも結構あるんですよ。
──それが例えば、弘前にあったりするんですね?
谷川 そう。きれいに残されています。当時の青年たちが、新聞などの広告や書評を参考にして、どんな本を買おうかみんなで会議して選択する。江戸時代には弘前には専門の本屋はまだないんですが、明治半ばになって初めて本だけを売る店ができるので、そこから本を買っています。明治三十年代には、東京土産として東京で出版された新刊本を持って帰っていたりもするのですが、それくらい新刊本というモノはオーラを放っていて、知識青年たちの憧れの対象でした。
──読書サークルは何人でやっていたんでしょう?
谷川 最初は十五人。ちゃんと規約があって、二十人まで。一人十銭ずつ出し合って、そのお金で次になんの本を買うか決める。それもちゃんと会議で決めるんです。結構複雑なシステムになっていて、購入した本を輪番で読む。本がまだ高かったので個人では対応できないんですね。何人か集まって買って融通し合う。今のように図書館があるわけではないので、買うしかないんです。その本を溜めていって図書館を作ろうとした。もっと古い図書館が函館にあるのですが、函館や弘前は早くから外国人宣教師がいたりと外国の影響を受けていた所なので、こうしたやり方を考案したのは、そんな背景があったからだろうと考えています。
──いまさらですが、日本人の識字率ってすごいし、知識欲もすごいんですね。
谷川 向上心というか向学心というか、知りたい心が高かったんですね。東京の情報はもう入ってきていますから、そこになんとかアクセスして、地元で図書館を作って行こうとする。新しい思想とか文学に対する飢えのようなものが彼らをつき動かしていたと思います。
──そう考えると、最近の文字離れはちょっと淋しいですね。
谷川 大学生でも長編は対応できないようですよ。
──でも本屋さんに、人はいっぱいいます。
谷川 本が読みたいのではなく、基本的に情報が欲しいんですよ。本屋さんのサイトを私も利用しますが、それは閲覧ではなくて、キーワードを入れて検索するものですよね。昔は趣味と言うと読書と言いましたが、今は読書と答える人は少ないんじゃないかな?
──でもたった百年ですよ。その間にずいぶん日本人は変わりましたよね。
谷川 日本人が変わったかどうか......。それは何とも言えないけれど、家の中にじっくり腰をすえて読まなくちゃならないような本がある、子供向けの絵本などではなく、大人が読む本が並んでいるという環境が少なくなったということも影響しているんじゃないかな。
──本棚に並んでいる本の背表紙を見ているだけで、たくさんの作品名と作家名を覚えてしまった経験があります。家庭環境の変化か......。
谷川 図書館は本を廃棄している時代ですよね。本は溢れているんです。
──溢れるほど本があっても、今何か調べたかったら...。
谷川 ネットです。大学生もみんなそうですよ。ネット検索です。
──ネットは間違っている情報もたくさんありますよ。
谷川 間違いも自分の専門分野ならまだわかりますが、少し専門から離れてくると、正しいかどうかちょっと判断できないですね。
──弘前の青年たちの活動を研究されて、そんな今を見たとき、いかがですか?
谷川 あの頃は、向学心が高く、また図書館を作ろうとしていたから、新刊に対する飢えがすごく強かったと感じますよね。今も確かに新刊本に興味のある人たちはいますが、どうも贔屓の作家に対するだけの興味という感じがします。当時の青年は最初から図書館を作ることが目的で買っているから、多種多岐にわたった本があるんです。教師らしからぬ本も中にはありますから。近代の「読書空間」は受け手の努力で二十世紀初頭には充実した形になっていきます。「自他楽会」の場合、融通し合って輪番で読んだ後、本は会にストックされていくのですが、そうして溜まった本は、会員が自由に借りて読んでいいことになっている。それで、会員ごとにどんな本を借り出しているのかを見ていくと、その人の個性が見えてくる。この人は小説ばかり読んでいるとかね。これはすごく面白いことだと思っています。極端にいえば、江戸時代は日本国中みんな同じ本を読んでいるでしょ? 現象としては今もそうですよね。これが売れているから今はこの本を読まなければならない、というような強迫観念で読んでいるような気がする。みんなが読んでいるから読むという。
──ああ、だから一つの本だけが極端に売れるんですね。文字離れと言われているのに、一冊だけ極端に売れる。
谷川 弘前に残された明治の青年たちの記録を見ていると、だんだん自分の好きなジャンルというか、趣向が表れてきます。先ほども話したように、読んでいるものを見ると、この人は小説が好きだとかいう傾向、個人差が出てくるんです。内面の傾向と読む本がリンクしてくる。このことこそが「読書空間」なわけです。自分の個性、自分が自分らしくなるための読書ですね。江戸時代から考えると、一巡したかなと感じますね。これから決定的に変質するんじゃないですかね。図書館も姿を変えていくんじゃないでしょうか。
谷川惠一氏
国文学研究資料館 副館長
「えくてびあん」2011年8月号掲載記事より