過去に学んで今を生き、未来を拓く
国文研には歴史の先生もいると聞いた。
証券マンから転身。未来のために今を残し続けている。
──先生のご専門は近現代史だとうかがっていますが。
加藤 僕は日本近現代史の専門で、この資料館では近現代の資料を扱っています。僕が今関心を持っているのは、戦中から戦後にかけての資料です。古文書などはお宝のようになってきていて、捨てる人はあまりいない。しかし戦後の記録は、軽視されがちです。これから五十年、百年先には立派な歴史資料になるものです。これを保存しておかないと僕らの後の世代になった時に、あの時代を検証できなくなってしまう。素材を残しておけば、後々なにかの研究に使ってもらえるのではないでしょうか。ごく普通の一般しる庶民が記し残したもの──日記、学校時代のアルバム、卒業証書。誰もが持っているのに、その価値は個人的なものだと捨てられてしまうことが多い。後の時代から見るとその時代を知る手がかりになる大切な素材なんです。名も無き人々の記録は、今意識して残さなければ無くなってしまいます。
──その中でも特に満州関連に興味を持っていらっしゃるとか。
加藤 僕の研究テーマが日本と満州の関係ですので、満州や朝鮮半島にいらした方が引き揚げてきた時に命からがら持ち帰ったものとか、帰国してから書き残したものとかに興味があります。戦後六十五年も経って殆ど風化しかかっている記憶ですが、人間はある種強烈な体験をした時には、何か記録を残しておきたいと思うようです。今の時代になり、代替わりして遺品を整理していたらこんなものが出てきた。捨てるのも惜しいし、どうしたらいいだろうというケースが最近多いんです。僕はこうした資料を集めている適切な所を紹介したり、またはここで保管したり、その目録を作ってどうやって公開するかを考えたりしています。
──先生がお話するといっぱい集まってきそうですね。
加藤 講演会などで話すとどんどん話がきますが、これは社会的使命として応えなければならないことだと思っています。その際、資料の価値判断はこちらでは絶対にしない。価値判断はお宝の値段をつけるのと同じ。我々は鑑定士ではないので、平等に誰の作った資料でも整理して保管していきます。記録としての価値はすべて同じなので。ただ資料の形態が様々で、技術的にその分類が大変ですね。ノートや写真、着ていた服だとか帽子、同窓会誌。でも全部受け入れて等しく整理して公開するのが原則です。
──満州だから全部同じというわけでもないんですね?
加藤 満州に行っていた人が、一概に同じ社会層で生活レベルだったわけではないです。明治の頃から満州に渡っていた人もいれば、昭和の恐慌になってから行った人もいる。それぞれの時代背景も違っているし、第二世代、第三世代になっていた人もいる。会社員なのか役人やっていたのか、満州の奥地で開拓団やっていたのか。生活水準もちがう。満鉄の社宅なんてとてもぜいたくで、日本よりも豊かな生活をしていた人たちがいました。
──そういう近い過去は、みんなわかっていることではなかったんですか?
加藤 実は生活レベルっていうのは当たり前過ぎて記録に残らない。今もそうですよね。電車の乗り方なんて文書にして残さなくたってみんなわかっているわけです。スイカかパスモをチャージして乗るなんて当たり前ですから。僕の小さい頃は硬いキップでバチンとはさみをいれていた。現代の子供は知らないけど、当時は当たり前だったから記録として残していない。
満州には日本の様々な地方から人が集まっていますので、本当はお国なまりがあるはずなんです。けれど実際には標準語でしゃべっていた。引き揚げてきて、それぞれまずは本籍地である田舎に帰りますよね。満州で生まれ育った子供なんかは、地元のことば=方言がわからない。自分は標準語をしゃべる。引き揚げ者の共通する点は、だいたい言葉が原因でいじめられるということです。生死を彷徨う引き揚げ体験をして、ようやく日本に帰ってきて最初の関門が「言葉」なんです。でもそういうことは、こちらがインタビューして掘り起こしていかないとわからないことです。
──引き揚げて来られた方も、自分個人の体験としか思っていないんですね。
加藤 そうなんです。個人的体験が歴史的に価値あるものかどうかわからない。こちらでお話を集めていくと、ある種共通のものがわかってくる。あの時代の雰囲気というのが見えてくるんです。こういうことは意識的に残していこうとしないと残らないですよね。
──先生のお仕事は、過去を残しているようで未来を見ているんですね。
加藤 そうですね。歴史資料というのは未来にどうつなげて行くかを考えないといけない。未来の人たちがどう活用していくか。再活用されることで記録は生きてきます。
──先月号で登場頂いた京都の酢屋さんですが、「酢屋は過去を歴史にしてしまわない」とおっしゃったんです。
加藤 うん。歴史ってそういう意味では罪深いところがあって、資料館などを作った段階でもう一旦終わってしまう。その事実を伝えたいと思って作っても、作った段階で終わってる。歴史家としてはそこがある種非常に難しい。いかにして今の時代の人に共鳴してもらうか、生かしていくか。
──酢屋さんは、時代に合わせて変わりながら、変えてはならないところは変えない、と。でもすごくむずかしいって......。
加藤 むずかしいです。どこか線を外れてはいけない所があって、かといって時代のニーズに応えていかなければならない。あんまり応え過ぎてしまうと迎合になってしまう。
──最近はマンガにもゲームにも歴史がテーマになっていたり。時には歴史がわからなくなるようなことも(笑)。
加藤 こわいですよ(笑)。戦国武将もキャラクター化されて。それもいいんですけれど、やりすぎてしまうと本当に歴史を見る目というのが......。
──でもそれで歴女が増えたんですよね(笑)。
加藤 そうですが(笑)。博物館にお客さんが入るという効果はあったかもしれない。誰々が好きという歴史入門もいいのですが、あくまでそれはフィクションであって。やりすぎるとその当時の歴史を知ったことにはならないんです。
──歴史を知ることの重要性とは?
加藤 歴史は人間がやっていることですから、人間の本質というものに関わってきます。今この時代で自分がどう生きるかという時に、ひとつの参考というか手引きになると思います。そのために歴史はある。過去の人とどうやって同じ目線で対話できるか。過去の価値観とか雰囲気とかをできるだけ理解していないとその人の目線にはなれない。現代の目線、今の価値観で見てしまうと豊臣秀吉だって徳川家康だって、どこまでいったって平行線ですよ。彼らが生きた時代の目線でみて、あの時代は一体何だったのか、あの時代の中で彼はどうしてこういう判断をしたのか、なぜこんな生き方をしたのかと考えていけば、それなりの人間の苦悩やある種人間の弱さが見えてくる。人間は完璧ではない、ある種宙ぶらりんな存在だということを前提に考えると、今自分が生きている中での非常にいい参考になっていくと思うんです。
──個々の人間だけでなく、国もそうですね。
加藤 国と国との関係も、人間と人間の関係と本質的には同じ。思い違いがあるとか感情的なすれ違いがあるとか、非常にばかばかしい部分でわかりあえず、結果的にものすごく関係が悪くなって最後に戦争になる。望まなくても戦争は起こってしまうし、そういうケースの方が圧倒的に多いです。
僕が歴史家になったきっかけはソビエトの崩壊です。あんな超大国があっけなく、しかも戦争もなく崩れてしまった。人間がやっているのに、結果的に人知を越えた予測不可能な方向に向いて、最後はあっというまに潰れてしまった。国家とはいかにもろいか、人間の力にはいかに限界があるかということを思い知ったわけです。今回の原発なんかもそうですが、全部が維持できるとか、すべてを支配できるという事態がそもそも間違いであって、何かのきっかけで誤った対策を続けていくとあっというまに崩れてしまう。ソビエトは僕にとって衝撃でした。
──歴史を知らないと未来は見えないとよく言われますよね。
加藤 ええ。戦争なども、どこが侵略したとかいうことよりも、単純には言い切れない、曖昧な部分が非常に重要なんじゃないかと思います。正しいと思って対応していたけれど、実は全然正しくなかった。でもやっている人に悪意はない。結局人間は未来が見えないので、どの道を進めばいいかという選択なんですね。いいと思って選んだ道を進んだら谷底に落ちちゃった。そんなことの繰り返しじゃないかなと。そうなる前に過去の事例に学んでいかないと未来が見えてこないです。今の日本が迷走していると言われるのは、戦後のある時期で過去について冷たくなったからのような気がします。それはもう終わったことでしょ? 今が大事、と。価値観がお金になって、経済的効果、効率化、合理化が優先され、過去を軽視した結果が今に繋がっているのではないでしょうか。
加藤聖文氏
国文学研究資料館 研究部 助教
「えくてびあん」2011年6月号掲載記事より
※役職は掲載当時のものです。