大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

2018/8/10

先生は「仏女」

室町の世界がおもしろい

女性の先生が 絵巻物を通して女性を語る
これも古典籍への入口のひとつのようだ

魅惑の『鉄心斎文庫』展示

「歴女」や「刀剣女子」が増え、ひと頃より「仏女」ブームは下火になっていますが、それでも多いですよね。お寺を訪ねたり仏像を鑑賞する女性たち。ゲームにビジュアル系歴史人物が登場する一方で、仏像はどちらかというとかわいい系にシフトしているようです。素朴な円空仏とか。当館でも、来年の秋に「中世の祈りと救い」をテーマにした特別展示を企画しています。仏教というと、どうしても難しいものと敬遠されがちですが、皆さんにもっと親しんでもらえるような展示にしたいと考えています。

もう少し近い時期のところですと、いよいよこの秋、特別展示「伊勢物語のかがやき―鉄心斎文庫の世界」を開催します。「鉄心斎文庫」は、三和テッキ株式会社の元社長・故芦澤新二氏が、美佐子夫人とともに40年以上の歳月をかけて収集した、空前の『伊勢物語』コレクションです。ありがたいことに、当館はその寄贈を受け、昨春一部を公開展示しました。今回はまた様子を変えて、『伊勢物語』に関連する80点近くの資料を展示します。『伊勢物語』の写本や注釈書など貴重な古写本はもちろん、絵巻や屏風、かるたや絵入り版本なども陳列し、それらが全て『伊勢物語』という一作品をもとに展開しているというのがよくわかる、とても楽しい展示になります。

なかでも私のイチ押しは「業平涅槃図」です。お釈迦様が入滅される時の様子を描いた涅槃図のパロディで、在原業平が死ぬ場面になっています。東京国立博物館にも「業平涅槃図」はありますが、鉄心斎文庫のものとは絵師が異なります。江戸中期に活躍した山崎龍女という女性が描いたものです。

お釈迦様の場合は、その死を嘆いて人も動物も男女問わず集まっていますが、色好みの貴公子である業平の場合集まっているのは女性ばかりです。身分もさまざまで、お姫さまも庶民もいます。そして、動物までも牝なのです。涅槃図では動物は対で描かれることが多いのですが―例えば虎と豹の対なら虎は牡、豹は牝と認識されていたのですが―、ここでは豹のみを描き、牝であることを示しています。つがいで描かれることの多い鹿や鶴、鴛鴦なども、1羽しか描かれず、明らかに牝を描こうとしているとわかります。背景にある木は、お釈迦様の場合は8本であることが多く、八正道(釈迦の教えを実践するための八つの方法)を示すと言われたりしますが、業平は6本で六歌仙を意味したものかと思われます。こうして1枚の図からもいろいろな読み取りができるわけです。鉄心斎文庫にはこんな楽しい品もあるんです。展示開催の折には、ぜひ実物を間近でご覧ください。

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室町の面白さ

私の専門は中世文学で、室町時代から江戸初期の動きに関心があります。文学作品そのものはもちろんですが、作品をとりまく当時の文学環境に特に関心があります。これは寺院資料を調査することで知ることができます。お寺に伝わる文献や絵画資料などを見ていると、お坊さんが難解な経典や経説を人々にわかりやすく説くために、物語とか絵をいかにうまく利用していたのかがわかります。様々な文化が花開き、現代にまで受け継がれている点で、近世文学も面白いとは感じるのですが、でもその始まりは室町時代にあると思うのです。多種多彩な物語が紡ぎ出され、庶民にまで広がる動きは室町くらいから見えてきます。応仁の乱など、ずっと戦が続いていて、ふつうに考えると、文学とか文化に関心を持てるような時代じゃないと思われますよね。ですが実際には、能や狂言などの芸能が生まれてきている。物語に節をつけて語り聞かせる浄瑠璃も、起こりは室町です。江戸文化が花開こうとする少し前、時代の転換期、というところが面白い。パワーを感じるというか。室町以前には公家、武家、お坊さんの世界のなかに閉ざされていたものが、庶民にまでどんどん広がり、それぞれが影響を与え合うようにもなるんです。

かつては国に護られていたお寺も、戦乱の世で後ろ盾を失ってしまい、生き残るためにはより多くの層に受け入れてもらうことが必要でした。そこで物語や絵を利用したのです。難しい仏教のお話を、どうアレンジしたら人々の心をつかむことができるのか。こうした発想、現代とすごくリンクしていませんか?

一方で、かつては文化の中心に位置した公家や勢力を増す武家なども、盛んに寺社の縁起絵巻や仏の教えを説く物語を制作したりしています。そうして、それぞれがお互いに多様な影響を与え合いながら、物語は幅広い層に受け入れられていきます。物語の端々に、戦乱の世をたくましく生き抜く人々の様子がうかがえ、私はそこにこそ室町の面白さがあると感じています。

物語絵にみる男と女

現在、当館の事業「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」に携わっています。その成果のひとつとして、この3月にハーバード大学でワークショップ「中世美術と絵巻の宗教空間」をおこない、日米を中心に仏教学や美術史、そして日本文学を専門とする研究者が集いました。私は、以前に詳しく調べたことのある、ニューヨーク公共図書館のスいんがごうきょうずペンサーコレクション所蔵『因果業鏡図』という絵巻について報告しました。この絵巻、もともと全3巻あったはずが、残念なことに上巻は失われてしまい、現在のところ、中巻がスペンサーに、下巻がハーバード大学美術館に所蔵されています。「業鏡」とは現世の罪を映しだけがす鏡を意味します。現世がいかに穢れていて罪深く生きにくいものかを説いたうえで、極楽の様子を絵で示します。往生を願うお坊さんに対し、どうしたら実践できるのか、イメージトレーニングをうながす目的で作られたようです。池の蓮や荘厳な建物の絵を見ながら、徐々に極楽浄土のイメージを膨らませ、往生を願うという内容の絵巻なのです。

なかでも驚かされるのが、現世の穢れを説く部分で、さまざまな経説を引用しながら、いかに女性が穢れているか、具体的に描写しているところです。女性の胎内が何千何百の虫で埋め尽くされているとか。これは裏を返せば、お坊さんであっても女性を絶つことはなかなかできないということなのでしょう。女性が穢れていると強調し、そういうものとは交わってはならないと戒めるのです。この絵巻について、室町後期の文書にはお坊さんが幼いうちに見るべき書であると記されています。面白いですよね。ただ、そんな絵巻だからか、一般には普及しなかったらしく、おそらくお寺にだけ伝わっていたものが転々とし、現代になってアメリカへと渡ったようです。

室町の物語などを読むと、そういう破戒僧絡みの話はとても多い。色香に迷ってお坊さんが蛇になってしまい、仏によって救われるとか。安珍・清姫で知られる『道成寺縁起』やその異本『日高川の草紙』も破戒僧の話です。お坊さんにとって女性がどれほど悩ましい存在であったか、その煩悶とするさまがおかしくも可愛くも思えます。そして当時の寺院が物語を生み出し、語り伝える場として重要な役割を担っていたことを、うかがい知ることができます。

ちなみに、当館のブックレットシリーズ〈書物をひらく〉の一冊として『異界へいざなう女』を先頃刊行しました。絵巻や奈良絵本について書いたものですが、一貫しているのは室町初期から江戸前期の物語絵と女性の関係性です。物語に描かれた女性像から、物語の受け手・語り手の女性、物語制作の発注者である女性も含めて、広く見渡しました。これも海外でワークショップをした時にお話したネタです。例えばシンデレラでも魔法使いはお婆さんと設定されますが、洋の東西をわず老女が主人公を救う話は割と多く見受けられるのです。それをどう考えるかということですね。『酒呑童子』の大江山の鬼退治に登場する、洗濯する女。鬼の住処と人々が住む世界の境界にたたずむ女性です。古い絵巻では200歳のお婆さんという設定になっています。彼女は三途の川で亡者の衣を剥ぎ取る奪衣婆とイメージが重なり、鬼の世界を象徴する人物でもありました。

ここで登場するのは若い女性ではダメで、老女でなければならなかった。やっぱり一般の成人男性を中心とする社会では、老人や子ども、さらに女性という存在は異界側という認識なんですね。自分たちの境界の向こうにある存在。二つの世界を往き来する媒介者でもありました。

研究の成果を社会へ、世界へ

江戸時代になると、物語は出版されて内容が固定化されていきますが、それ以前の物語は成長し、展開し続けていました。それも室町の面白いところかなと思っています。伝える手段が語りや書写だったことから、多くの異本が生まれました。前述の『道成寺縁起』は、僧が鐘に隠れていたところを蛇になった女性に焼き殺され、後に法華経の御利益で救済される話ですが、『日高川の草紙』になると、蛇になった女性がお坊さんを捕えて、一緒に川へ沈んでいく話に変わっています。仏教のありがたみを説く話から、報われない女性の恋の話へと重点がシフトしているのです。より大衆受けする形に変えられたといえるでしょう。大学の授業で取り上げても、仏教で救われる話より川に沈む女の話に女子学生は肩入れするようですね。そんなところをきっかけに、室町の物語世界に関心を持ってもらえたらと思っています。

国際研究に携わっていますが、実は英語も飛行機も苦手なんです。これまで避けてきたのですが、もうやるしかない。とはいえ、英語での口頭発表や論文執筆はやはり難しいです。例えば「室町期の写本」とした場合、英語では、それは室町に成立したものなのか、それともその時に書写されたものなのか、単語を選ぶ段階で明確にしていなければならない。「original」か「copy」か。当たり前のことですが、今までいかに日本語のあいまいな表現に頼ってきていたか実感しましたね。

これも海外での話ですが、先日、ホノルル美術館でハワイ大学の院生向けに、当館の教員たちが古典籍のワークショップをおこないました。私はくずし字をテーマに担当したのですが、関心が高いようでした。日本の看板などに見られる身近なくずし字も紹介しました。「生そば」とか「お手もと」とか。形としてオシャレで、日本の文化として息づいているんです。ホノルル美術館でも貴重な古典籍を沢山お持ちなので、是非読みこなして研究してほしいとお話ししてきました。くずし字を読むためのスマートフォンのアプリが開発され、古文書を一般の方々で共同翻刻するサイトが登場するなど、なにかと話題のくずし字ですが、日本文化の裾野を広げるために大変有効だと思います。

連続講座「初めてのくずし字で読む『百人一首』」も担当しています。なんでもやる?はい、たまのお休みに巡る温泉とお酒を楽しみに!

恋田知子氏
東京都出身。国文学研究資料館助教。専門は日本中世文学。2009年日本古典文学学術賞、2013年人間文化研究奨励賞受賞。おじいちゃん子で幼いころからよくお寺に連れて行ってもらった。そのせいか、今どきの「仏女ブーム」到来前からの仏像好き。お酒と温泉も好きで各地を巡っているが、飛行機が怖いので本州専門。しかし、国文学研究資料館に着任してからは、国内どころか海外出張も多いため、頑張って嫌いな飛行機にも乗り、最近は苦手な英語にも挑戦しはじめたそうだ。

「えくてびあん」2017年6月掲載記事より
※役職は掲載当時のものです。

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