大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

2018/9/25

祈りと救い

「能」による復興支援

平成23年には『隅田川』や『井筒』を通して能の普遍的な魅力を語ってくれた。今回は、復曲『名取ノ老女』に込めた祈りと救いがテーマ。

復曲までの経緯

昔あった曲で今は上演されていないものを復活上演することを復曲といいます。国立能楽堂では平成28年3月に『名取ノ老女』という能を復曲しました。なぜ『名取ノ老女』なのか、ということですが、東日本大震災後、国立能楽堂は「企画公演復興と文化」として平成24年から能を一番上演してきました。平成28年は被災5年目に当る年なので、ひとつの区切りとして被災地と関係する『名取ノ老女』を復曲しようということになり、私に話があったのです。名取という土地は仙台の少し東側にあって、大震災の時にはずいぶん悲惨な映像が流れました。仙台空港にも津波が押し寄せて、いろいろなものを飲み込み覆い尽くしました。私はその画面を目の当たりにして、近くの名取も相当に被災したのではないかと心配しました。実際に被害はひどくて、閖上ゆりあげ地区にあった住宅地はほぼ全滅、多くの方々が犠牲となりました。そのこともあって、国立能楽堂ではこの『名取ノ老女』を復活したいと思ったのです。

私のところにその話が来たのは、まだ国文研の助手をしていた昭和57年、研究紀要に「名取老女熊野勧請説話考」というこの能と関係する論文を発表しており、それを国立能楽堂の方が読んでいて、小林に手を貸してもらおうということになったようです。復曲というのは1年くらいで簡単にできるものではありません。話は3年くらい前に企画して、そこから元になる台本の選定や台本作りをして、ようやく昨年、人間国宝の梅若玄祥さんと大槻文藏さんをシテにして復曲上演した、ということなのです。

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『名取ノ老女』の物語

この『名取ノ老女』という能は、熊野の山伏がなぎの葉に虫食いであらわれた熊野権現の神詠を名取の老女に届けるという話です。名取の老女は熊野権現をとても深く信仰していました。毎年のように名取の地から紀州の熊野まで、熊野詣でをするわけです。院政時代から鎌倉時代の始めにかけて、「蟻の熊野詣」と言われたように、熊野信仰はすごく流行したのですね。でも大変ですよね、今は新幹線や飛行機がありますが、当時は歩いていくわけですから。

この話がおもしろいのは、主人公が老女――女性だということです。昔の山岳信仰は女人禁制なのに、熊野は女性の信仰を許していた。女性に対して寛容な神様でした。ですから女性の信仰が高まるわけで、その象徴的な存在がこの名取の老女なのです。この能は、ある時名取の老女のもとに紀州の山伏が訪ねてくるところから始まります。老女は尋ねます。「あなたはなぜ私のところに来たのか」と。山伏は応えます。「私が本宮證誠殿に詣でたところ、神様から霊夢――ありがたい夢のお告げ――をこうむった。もしお前が奥州に行くのなら、名取の老女にこのなぎの葉を渡してほしい」と。梛は熊野の神木なのですね。常緑のつやつやした葉で、葉脈がきれいに縦に走っています。葉脈が縦にあるということは切れづらい。だから神木として尊ばれているわけです。その葉にご神詠が虫食いで書かれていました。それを山伏が名取に届けに来て、もらった老女は大変喜び、老眼なので詠みあげてもらうのです。『道遠し年もやうやう老いにけり思ひおこせよ我も忘れじ』――熊野と名取は遠く離れている。お前もずいぶん年をとったなあ。熊野に詣でられなくなっても、時々は思い出してくれよ、私もお前のことは忘れないよ、という意味なんですね。自分は老いてもう熊野に詣でられないが、熊野の神はちゃんとご存知で、今でも私のことを思ってくれていると老女は感激するわけです。そこで山伏に、名取に熊野三社を祀ったことを話し、案内をします。これが本宮、これが新宮、これが那智とめぐりながら説明するのです。そして臨時の幣帛をささげると、熊野権現がそれに応じて熊野権現の使わしめの護法善神を飛来させます。さっそうと飛んで来て老女を祝福し、お前のことは忘れないよ、これからも見守っていくよと言って去っていく。

名取の老女の祈り、それに応えた熊野権現の救い、それがテーマの能だと言えます。

復曲にあたり

この能は15世紀からあるもので、古い台本が残されています。今回の復曲に際しては天文23(1554)年の奥書を有する古謡本である観世元頼本をもとにして、私と小田幸子さん(能狂言研究家)のふたりで台本を作り直しました。このお話をいただいて、台本に手をつけるようになったのは2年くらい前からで、1年かけて作ったものを国立能楽堂の方に見てもらってダメ出しをくらい(笑)、さらに直したものをシテを演じてくださる梅若玄祥さん、大槻文藏さんに見てもらうと、そこで、まだ長いとか、ここがわかりづらいとか指摘され、さらに手を加えて練り上げたんです。台本作りのポイントはいくつかありましたが、特に強調したのは、名取が舞台だということを復曲の台本にはっきり入れようということでした。元頼本を元にして台本を作っている時に「あ、もしかしたらこの台本は名取を知らない人が書いたのかもしれない、中央の能役者が作った可能性があるな」と感じました。というのも、名取にちなんだ地名が出てこない。つまり、都にいる人が「道遠し」の神詠と、名取に熊野三山が勧請されていることを知っていれば、あとは作れるものなのです。そこで小田さんと私はあえて名取にちなんだ地名を入れました。老女が山伏に、勧請した熊野三山を案内するシーンでは、まったく季節感のなかったところを「あらやさしの景色やな、雪間を分けて萌え出づる、若草待てる風情なり」として早春に設定し、そのシーンの中で高舘たかだて山を廻りながら三社を順次紹介する「名所教エ」の形にしました。「さてあれに流るるは名取川候ふか」というセリフには、『陸奥にありといふなる名取みぶのただみね川』と壬生忠岑の歌を少し入れ、その後に山伏が「川下に見ゆる浜の名は」と聞くことに応えて「あれこそ閖上ゆりあげ」と閖上の地名を入れたんです。熊野三山で那智が一番山の上にあるんですね。そこから見る閖上の浜。今では大震災でもう何もなくなっちゃっているんですけれどね、そこにはかつて人々の営みがありました。ですから、鎮魂の気持ちを込めてこの閖上の地名は入れたいと思いました。そして「あれこそ閖上の浜、忝くも那智のご本尊は、かの浜にゆりあげられたる観音にて候」と、土地の伝承を織り込みました。浜で漁師が網を打っていたら観音さまが浮かんできた。観音様がゆりあげられてきたので閖上という地名になった。その観音様が那智の本尊になったという伝承です。今でも通用する、いや今だからこそ通用するというものを作って上演しました。

台本を作った私や小田さんはもちろんですが、演じられた梅若玄祥さんや大槻文藏さんなどお忙しい方々も名取を訪れ、今は全部流されてしまって何もない現状を見て、やはり感じるものがあったようで、これは鎮魂の能として演じたいという気持ちになったようです。

人のために役にたつ
それが嬉しかった

復曲の台本を作る時、私の案が採用されたところに〈クセ〉があります。この能の〈クセ〉は熊野権現の威徳を語っていますが、大きく作り変えました。それまでは抽象的、観念的に熊野権現はすごい!とだけ語っていたのを、復曲の台本では室町時代の『熊野権現縁起』をとり入れました。天竺(インド)のマカダ国の善財王には1000人の后がいて、末の后の五衰殿女御にだけ王子ができるのですが、そのことで妬まれ深山で首をはねられてしまう。けれども王子は獣に育てられ成長し、虫食いの神詠によって叔父の上人に見出され父王と会い、母である女御も蘇生するんですね。マカダ国を飛び立った一行は熊野に到着し、熊野三山となったという話です。熊野権現が女性や子供など弱い立場の人々を救う神だということを、この物語を借りて言いたかったのです。

私がこの能を研究したのは30年も前のことですが、研究というのは自分のためにやっていますけれど、何か人の役に立てばもっとよいと思っています。ですから、こうして30年後の復曲の役に立つということは嬉しかった。今年7月28日にまた国立能楽堂で上演されます。そして10月1日には地元の名取でも上演されることになりました。去年の春に国立能楽堂で上演した時、市長を始め多くの方が来て、ぜひ名取でもやりたいということになったんですね。能というのは5年前のインタビューでご紹介した『井筒』とか『隅田川』のような古典的な名曲を繰り返し上演して、普遍的な魅力を鑑賞するというものもありますし、今回の『名取ノ老女』のように、今の時代に何かを訴えかけるものもあります。今回は祈りと救い、鎮魂がテーマになりました。名取で上演して、皆さんがまた元気を取りもどしてくれればうれしいですね。

『名取ノ老女』にみるように、中世の人々の営みは、神仏に対する祈りと救いに溢れていました。その一端を知ってもらうため、国文研では来年の秋に、名古屋大学などと連携して特別展示「〈いのり〉と〈すくい〉の中世」を開催する予定です。たくさんの方に見ていただきたいと思っています。

小林健二氏
国文学研究資料館副館長・教授。専門は室町期文芸(能・狂言・幸若舞曲・お伽草子など)の研究。国立能楽堂を始めさまざまな能舞台で講演や解説をされている。小林先生が語ると、本当に能を観に行きたくなるから不思議だ。

「えくてびあん」掲載記事より

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