大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

2018/10/19

救え!アーカイブズ

少子高齢化なんて言ってられない
シニアの力が活きる場所

過去の資料を救うことはそのまま未来を救うこと

被災アーカイブズ・レスキューとは

もちろん災害発生時には人命最優先です。ですから国文学研究資料館では、災害発生直後、人のことが落ち着いてから収蔵資料の確認という段取りになっています。時間が経過しても大丈夫なように、建物の建て方から保存の仕方はもちろん、被災時のあり方まで対策してあります。しっかりとした日常の保存管理こそ、すぐれた危機管理と言えます。

阪神・淡路大震災の経験から、東日本大震災ではアーカイブズの救助は発災一カ月以内にレスキューが動かないと大変なことになると思いました。「公文書を救済しますよ」というメッセージは発していたのですが、それも受け入れられないほど大変な状況ではあったのだと思います。でも、できなくて心残りなこともたくさんありました。ゴミとして捨てられてしまった。

被災した公文書はなかなか即時レスキューということにならないのです。その理由は、ひとつには自治体の意識が「自らの文書」というものだから。公文書は役所の文書ではない。地域の方々の大切な歴史的記録なのに、地域住民のものを預かっているという意識が低いのです。二つ目には、被災そのものが「自己責任」だという意識。たとえばハザードマップには「ここは水害に弱い地域」と記してあるのに、その対応をしていなかった。それで大事な公文書を水損させてしまったのですから、今さら支援を要請するなんてみっともなくてできないという意識があるということですね。三つ目は担当職員はみな、被災住民対応が最優先になって公文書まで手が回らない。だからこその支援要請なのですが、そこまで思い至らないのですね。四つ目には、中途半端な電子化しかされていないということ。そして最後に、利用者の請求に対して迅速に対応しようというサービス精神の欠如。こうした理由で支援要請もしないし、支援を受け入れることもできないというのが現状です。

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常総市の場合

東日本大震災の時だけでなく、阪神淡路大震災の時もやはりそれぞれの地域資料、地域の公文書を救助してきましたので、長年の活動の一環として常総市も支援させていただきました。二〇一五年九月十日の水害で、常総市役所の行政文書が保管されている書架では、一メートルくらいの高さまで水に浸かってしまいました。中にはカビの生えてしまったものもあり、過去の行政の記録や戸籍簿など、数万点が水損していました。文書を風通しのよい場所で乾燥させたり、カビが増殖したひどいものはエタノールで洗浄したり。東日本大震災後の釜石では海水でしたが、常総市では河川の水です。海水だとカビが生えにくく、自然乾燥可能ですから、廃校の中で自然乾燥させました。真水はカビが生え自然乾燥が難しい。真空凍結乾燥という方法を取りました。冷凍したままで乾燥できるシステムです。カビの繁殖を抑える効果があります。水に浸かったから、カビが生えたから、と廃棄してしまったら地域の方の記録が失われてしまうでしょう。歴史資料としてきちんと復元でき、保存して利用できるようにしています。フリーズドライという食品を美味しく長持ちさせる方法がありますが、その方法を日本で初めて、実際に火災にあった民間資料に対処したのは私です。紙は水に浸かると破れやすくなりインクもにじんでしまいます。カビも生えて腐ってくるし、ページもめくれなくなる。それを真空凍結することで、凍ったまま乾燥させられるので元通りになるのです。

市役所のサーバーも水に浸かったのですが、停電していたのでデータは守られました。が、同時に電動書架は動かなくなった。そこから人の手で資料を取り出すのですが、取り出す時には資料の並び方、順番というものがとても大事になってきます。十一月号で大友先生がバチカンのマレガ文書の調査について語っていましたが、それと同じで資料を取り出す時は元に戻せるように。バチカン図書館でも私が最初に手掛けました。私の横にいて撮影する人、資料を取り出す人など担当を決めてチームで動きました。このやり方はバチカンであろうとどこであろうと同じなのです。国文研の地下収蔵庫をご覧になったらわかりますが、保管するにはきちんと法則性にそって収蔵する。つねに元に戻せるように保管するのです。

災害レスキューの目的

けれども、レスキューの最終目的はもとに戻すことではありません。地域の人が公文書を使えるようにすることです。地域の人の記録として公開されることが一番のポイントです。助けることだけが目的じゃない。私たちの生活を豊かにしてくれる「情報」を、過去のものは現在へ、現在のものを未来へちゃんと繋げていくこと。必要じゃないと思う人もいるかも知れませんが、必要だと思う人も未来にいるわけですから、その人たちのためにちゃんと残してあげる。残すには、歴史資料をさまざまな科学的技術を使って復元してあげる。そして見られるように、使えるようにすることが目的です。

お役人のための役所ではなく、私たちのための役所です。行政組織がちゃんと作ったものというのは、まさに私たちのものなのです。行政文書はまんべんなく偏りなく記録されていて、地域の文化活動とか産業とか経済とか交通網とか、土地柄なども、たとえば地震とか水害に強いのか弱いのか、全部記録に残っている。津波の場合、ここから下に住んではならないと書かれた古文書とか、過去の経験をきちんと記してある公文書はとても大切ですね。東北などは貞観の地震の経験から、また大きな地震が起きると言われてきて、現実に起きたということなのです。

公文書災害レスキューのこれから

現在のレスキューのあり方の始まりはフィレンツェの大水害にあります。一九六六年、豪雨によりフィレンツェにあるアルノ川が決壊、ダ・ヴィンチの素描など世界的遺産を含む何百万点もの収蔵品が被災しました。フィレンツェ文書館やフィレンツェ中央図書館の遺産を救おうと世界が動き、国際的な救援活動が開始され、五十年経った今も継続されています。被災した世界的遺産をどうしようというところから、冷凍とか真空凍結乾燥などの方法や技術が私たち専門家同士のなかで発信され享受され、今のレスキューへと育ってきたのです。日本でレスキューに対する意識が変わったのは、やはり阪神淡路大震災以降ですね。それまでは水害に遭ってもレスキューに来て欲しいとも、レスキューに行かなきゃというものもなかったけれど、阪神淡路以降は地域の文化遺産をレスキューしなきゃいけないという気運が高まった。東日本大震災では一層その意識は高くなりました。陸前高田などは博物館自身が流されてしまいましたから。「レスキューしなきゃいけない」と「レスキューしてもらえるんだ」という両方の意識の変化、さらに起きても大丈夫なように準備しておくのが防災だし減災だという意識が向上しました。今後は被災したらレスキューを要請するのが必然なのだというトレーニングがもっと必要です。事故に遭ったら救急車を呼ぶ、火事は消防署へ連絡する、それと同じなのです。

レスキュー活動で一番大変なのは、初期の段階で資料のレスキュースケジュールを立てることです。どれだけの人を集めたらいいかということが重要になってきますから。活動組織を作る、スケジューリングができる人は、現在のところ文化庁でも多く見積もって二十人くらいしかいません。ボランティアはアーカイブの研究や歴史、保存科学を勉強している人、学芸員になりたい人など若い人を中心に集まってくれています。学生の数が減っていますから、これからはこうした現場にシニア層が駆けつけてくれることが重要になってくると思います。何も知らない人でもやる気さえあれば大丈夫。こういうことは現場で覚えていくのが一番なのです。

保存科学と言えば、私はアーカイブズの保存科学が専門です。紙資料ですね。文書館、公文書館、役所の記録、地域の資料などですが、それこそ立川市ならば、立川市の公文書も砂川闘争の劣化した記録資料も、立川市できちんと保存しておきたいということになった場合、ご相談いただければきちんとした保存の科学的見地でのアドバイスをします。レスキューも専門ですが、これが私の日常の研究ですから(笑)。

青木睦氏
国文学研究資料館准教授。アーカイブズ・レスキューの第一人者でもある。一九九二年に放火で焼けた民間アーカイブズを救助したのが、自身がレスキューに携わることになった始まり。一九九五年一月十七日に発生した阪神・淡路大震災。発災二十四日後に神戸市水道局主査が自ら命を絶ったというニュースが流れた。ライフライン復旧のための水道局の図面が被災し、それをすぐに見つけられなかった、行政文書が使いやすい形で復旧できなかったことの重大性を痛感。以来、自治体の行政文書の救助・復旧に取り組んでいる。行政文書は役所のものではない、地域住民のためのもの、歴史資料として重要なのだと熱く語ってくれた。

「えくてびあん」掲載記事より

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